思考力

湯船の船長

銀玉の動きを何時間も眺め、やがて財布が軽くなっていく。今日こそは行かないと決めたとしても、一晩経てば忘れている。賭け事の依存というのは、肉体的に現れるモノではないゆえ、どうしても根性論ばかりが先走ってしまう。しかしながら、ギャンブル依存というのは、WHOであっても立派な病気として認定されいる。こんな客観的な事を、クールに描いている私だが、私もその患者の一人にノミネートされている。やはり、周期的に起こるギャンブルへの渇望と欲求が高まれば、足は盛場に向かいつつ、帰る頃には反省しつつ「もう絶対行かない」という独り言を連発している。

そんないつものパターンを後に、風呂に入るのもしんどい状態で眠りについた。浅き眠りの時に数回ほど夢を見たような気がしないでもないが、そんなことより、目が覚めると異常に喉が乾いていることに気づいた。冷蔵庫にジュース関係のものが無かったので、歩いて数分の自販機へと歩く。ところがまっすぐ歩けない。昨年の10月は、こんな状態で自転車を運転していたのだから、転ばないはずはない。そろそろ来る請求書の概算は、3桁万円。これ以上どうしろというのだろうか。案外、答えはカンタンで、無駄使いをしないということ、つまり、ギャンブルなどしないということが、実に大切になるのは当然である。

頓服の薬を飲んで、さらに眠ることも考えたが、それを飲まずとも十分に眠れることが分かるような眠さだったので、そのまま風呂に入って寝てしまおうと考えた。湯船でうとうとしつつ、何やら方が冷えてくる。さらに床に尻をつければ、ぶくぶくと泡がたって水泡が鼻に入ってくる。今考えると、危険極まりない。下手したら孤独死をしていたかもしれない。実際、私の親戚は、湯船に浸かりながらなくなったのだから、湯船で眠る怖さというのは、身に染みて分かっている。

今日も、銀玉の行方を見に行こうか。どうせプラスになどならないと分かっていても、家に引きこもっているよりはマシである。もちろん、賭博場でうとうとしていたら、自分の財布の虎の子は、一気に回収されてしまう。そのスリルを今日も楽しんでこようと思う。

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