思考力

否定のち台風が晴天

台風が近づいてくると、自分の中にある「どこか」が強く刺激されるような感覚に陥る。大きな低気圧でもそうなのだが、今まさに接近して来ている非常に強くて大きな台風。現在、避難警報が流れ、部屋の窓が、雨の音と風の圧力で強く振動している。心のどこかというよりも、自分の脳のどこかしらの部位が強く締め付けられ、やはり部分的にではあるのだが、得体の知れない思い力がギューっと加わっていて、通常とは違うモードに突入していることがわかる。これは、気分障害を持つ私の気質を、強く刺激しているのだろうと予想はつく。だが、明日には、この台風も抜けていくので、大きな心配は要らないはずだ。いきなり窓から飛び降りたとしても、私の部屋は一階なので、心配すべきは、強い捻挫くらいかもしれない。

ただ、このように脳が刺激されている状態と、心の状態が不安定な状況での突発的なアクシデントには、「不運」を感じる他はない。いつも通り、ブログを書こうとも、いきなりエラー表示が出て、管理画面に入れない。サーバーからは、解約の知らせのメールが届いていた。どうやら、口座の残高が足りておらず、サーバー代の引き落としができなかったらしく、強制的な解約となっていたようだ。ただでさえ、ステイホームの状態で、さらに台風で家から出られない人たちが、おそらく今日のうちにホームページを整えたり、サーバーの契約の見直しなどをしたがっているようで、問い合わせ窓口は大渋滞。電話であれ、メールであれ、チャットであれ、何もつながらない。これでは、ブログ毎日更新という、私の記録が途絶えてしまう。今の私にとって、これは、2年前の大雨による「車の水没」並のピンチである。

そんなアクシデントに襲われるとは、つゆとも知らない昨晩の私は、いつ眠り込んでしまったのかわからない状態で、すごい体勢でソファーに寝転びながら、眠りこけていた。まるで、ラグビーのタックルをしたような格好で眠っていて、換気用のサーキュレーターの風による寒さで目が覚めた。時間は、深夜1時前。眠らずに活動的だった最近の自分に、とうとうブレーキがかかったのかもしれない。疲労回復の睡眠というより、暴走のエネルギー切れというような状態。快適にリラックスできたような安眠ではなく、重い物体が電池切れで動かなくなったような睡眠であった。やはり、大きな低気圧のカタマリである台風の中でも、特に非常に強い今回の台風の接近で、身も心もソワソワしている。だから、古いスマホのように、気づくとバッテリーがなくなって画面が消えているような状態にもなってしまう。気分の波が強くなる要素が複合すれば、燃費の悪いアメ車のような自分の体力が尽き果てるのも無理はないと言ったところだ。

この年齢になると、もう、自分の心の状態を把握できるようになった。今の自分の心の状態や、今置かれている自分の環境が、過去のどの状況と似通っているかを比較することができる。これは、40年以上生きてきた経験に基づくものであり、現状を過去と照らし合わせて、未来へのベクトルを良い方向へ向けるというコツを得られているのだ。これを意識することで、生きることが、ずっと楽になる。大きな波が来ても、焦ることなく、ウネリから波を捕まえて、その波を乗りこなすことだってできる気がする。このような自信をもてるのは、言うまでもなく、過去の自分が、自分自身と真摯に向き合いつつ、妥協せずに人生そのものとも向かい合ってきたからであり、今の自分がこれからの時間を、より有意義に過ごせるように後押ししているのである。

昭和や平成の時代では、大きな組織に属し、その範疇での活躍を求められ、そこでの中有精神に基づいた成果を評価されてきた。だからこそ、そこに職人気質の人間は、不要とされていたのだ。私は、自分を常に「職人」だと言い続けていた。そのようなことを主張し続け、何度もタテ社会の中で潰されてきた。そして、押しても引いてもビクともしない大きなカタマリから離れ、何かに属するという安定した立場を手放すことで、自分が笑顔なれる自由を手にすることができた。私のような人間を起用する会社組織がないということがわかれば、自分自信が中心になることを考えれば良い。もちろん、自己中心的でいるというわけではない。自分が、不幸でツライ状態で、一体全体、誰を幸せにできるというのだ。だから、まずは、自分が自由に動ける環境を整えることを第一としなければならない。

背後には誰もいない。ただ、安定を捨て去った状態が、果たして「危険」で「地味」なのだろうか。シンプルさの中にあって、光るものこそが「幸せ」であり、そこに魅力を感じてくれる人が集まることこそが、自分の「財産」になるのではないだろうか。フリーンランスの生き方を否定する企業に属するだけの人の意見の根拠が曖昧なのであれば、それはただ、自由に生きている人の足を引っ張りたいだけの悪口に過ぎない。時代は、令和。いかにシンプルに自分だけの持つ個性をつかい、独自性や創造性を発揮できるかが、世間で重宝されるのである。少なくとも、私の考えは、そうだ。そのように考えられれば、背後には何もない状態は、この上なく「素晴らしい」と言える。

どんな世界であれ、頭がよくて優秀な人というのは、臨機応変に自分の生き方を見直す力に長けている。これからやるべきことに対し、過去と現在を比較検討し、より良い生き方を、常に自分の経験に基づいて選択しようとしている。さらにその考えの基盤には、「否定疑問」の状態でいる傾向がある。今の世界の流れは、果たして正しいのであろうか。パソコンと電話が独立していることは、不便ではないだろうか。仮に、独立しておらず、一体化したのであれば、ポケットにパソコンと電話という、欠かせないアイテムが収納できるのではないだろうか。そのようにして編み出されたデバイスを、今日の世界中の人たちが、毎日、目を釘付けにして凝視しながら、その画面を指でなぞっている。スティーブ・ジョブズは、常に職人気質を続けられた21世紀の巨匠。そのような人は、おおよそ、自分の生み出した魔法の道具に、すでに「否定疑問」を投げかけているはずだ。

私とて、同じ人間。そして、頑固な職人気質なのだ。ただ、少なくとも、サーバー代の1,000円程度は、口座に残しておかなければ進まないことも事実である。

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