思考力

繊細な繋がり

ぐっすり眠る。これは、至福の時間だ。この最高の時間を、過ごせた朝。やはり、気持ちがいいという拙い表現でしか現すことができない。やはり、自分の語彙力の貧弱さに、情けなさを感じてしまう。心の隙間のどこかに隠れている感情を、うまく表現できればこそ、文章というのは成り立つ訳なのだけれそも、そのような、強く心を揺さぶる高い表現力が、私には不足している。良い朝を迎えられたというのに、いきなり反省の言葉たちで埋めていく文章に、そもそもの語彙力不足が露呈されているようで情けない。

入院を考えるほどの具合の悪さ。それは、薬の配合の強さによるものだと言って、絶対に譲らないドクター。ここまでの意地っ張りの両者の口論というのは、やはり、患者という立場の方が弱くなってしまうようで、薬の調整をして眠った。そして、今朝の爽やかな気持ちになれたのだから、やはり医者の言うことに反論するというのは、なかなか間違っているようだ。もちろん、そこまで意地っ張りなドクターというのが、私の人生の20年以上を支えてくれ、私も心から信頼できているのだから、譲歩の気持ちを素直に出す事は、ある意味で正しことだと言えよう。

人間と会話をするのが、そもそも1ヶ月に一回という頻度の少なさであるのだから、その時に医者とじっくり話をするという事は、とても大切なことである。そして、その会話を次回までの楽しみにできるような機会を設けられるのであれば、その話者とは正しく信頼という絆で結ばれたと言えよう。例えば、お気に入りの作家の作品や映画が出れば、その作家の作品に大きな期待をするし、大好きな人と待ち合わせをする時なども、それは絆である。そこには、金銭のやり取りは皆無に等しく、自分と他者との繋がりと信頼に基づいた「期待」であるとも言えよう。

このブログであっても同じだ。拙い文字の羅列で終わっているのかもしれないが、どこかで自分の文書、いや一行、もっといえば一文字だけでも読んでくれているとすれば、そこには微かな期待があるのだと思っている。やはり、爽やかな朝を迎えられ、気持ちの良い気分で書いた文章は、前向きな方向へと進んでいく。自分の文章に、何か特別な力を放ち、誰かを支えられるような原動力を満たせられるような期待される文字を重ねていきたいと思っている。

-思考力