思考力

沼の手前

ナマポ前に、サーフボード とウェットスーツを手放した。ナマポ後に手に入れた3台のスケボーは、腰の骨折と断捨離を境に売却した。すると、引き算をすれば、私に残された趣味というのは「釣り」だけということになり、車入手後には真っ先にやりたいことのひとつでもあった。ただ、いざ車を入手し、いつでもいける体制になると、人間というのは贅沢なもので、一気に行動意欲というのが失せてしまうようだ。明日は、けっこう重い腰をあげながらとなってしまうのだが、ようやく釣りに行く決心をした。

そういうわけで、出発は夜明け前になるはずなので、今のうちにフライングブログを書いて寝てしまおうと思っているのだが、なんせ今は陽が落ちる前の時間だ。せっかちなのは重々承知の上なのだが、とっとと眠ってしまって、早いところ釣り座に着きたいものだ。狙っている釣り場は、管理釣り場で、特段に観光気分やドライブを楽しむという気持ちもないのだが、ただただ、潮風に当たって釣り糸を垂れるのも悪くはないと思う。ここ最近は、何やら気持ちばかりがせかせかとしていて、精神的に安定していなかったというのが現状だった。その証拠に、12時間睡眠をするという、体からのSOSまで出てしまった。

ほとんど”FIRE”の状態の生活なのだが、やはり何かをしていないと自分自身が孤立してしまうような気もしているし、何か具体的な行動を取れば、その先に続く道も、明確になるのかも知れないと思う。少なくとも、今の状態をキープしていては、暗中模索の状態に陥ってしまうことは間違いなかろう。リタイアした人が、やはり仕事に復帰したくなるという気持ちが、ここのところ非常によく分かる。でも、今日、職安に行ったのだが、自分に適職と言えるような仕事もなく、結局動かないという結末にはなってしまった。やはり、ぐるぐると思考ばかりが空回りしていると、行動も何もかもが、中をかすめるだけになってしまうのかも知れない。

こう考えれば、目が覚めてから何らかのスケジュールがあるというのは素晴らしいことだとも思える。ささやかではあるが、明日は釣り糸を垂れながらリラックスするという計画があるのだから、生産性はなくとも、大袈裟ではあるがビジョンはあるのかも知れない。そして、これからの生活で、釣りを中心に物事が進んでいく可能性だってある。結構その可能性は高くて、釣り中毒のような症状に陥った経験が何度もあるのだが、やはり依存症というのは、何かのきっかけに再発することで、「スリップ」という底無しの沼が広がるのだから、やはり明日以降の展望というのは、なかなか見物の余地はある。それでは、心を落ち着かせつつ、明日に備えようではないか。大漁祈願も込めて。

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