思考力

同じ部屋なら

シャカシャカと歯を磨きながら、アパートの庭に出る。冷え切った朝日の中、キリッと空気が冴えている。昨日は、この庭の外へ出ることは一度もなく、完全ヤドカリ生活を完遂した。おそらく今日も、同じような日になるはず。ぶっちゃけて曝け出せば、お金がないので外出できないだけなのだ。そんな状態であれば、散歩にでも出かければ良いのかもしれないが、この寒さと過去の嫌な思い出に囚われてしまえば、足取りは重くなるだけで、無事に家に帰ってくるのは難しいと思う。去年のような大怪我をしたいわけではない。家でヤドカリになっていた方がマシだ。

現在、朝の9時半。再び眠気が起こり易いように、コーヒーは控える。かなり迷ったが、洗濯機は回した。ドラム式洗濯機に限らず、洗濯機は洗濯物を回転させる時に、否応なしに音を立てるので、小心者の私にとって不快極まりないノイズとな離、眠りを妨げてしまう。そんなグータラ生活の中でも、朝の通例の儀式のようなブログ記事の作成は、なんとも2年以上継続できたわけだから、これに関してだけは鼻を高くしても良いと思っている。少しは自慢できることを持っていなければならないとも思う。

とはいえ、ブログのネタとなることも多くはない。なぜなら、日々の生活で生じる出来事が少なすぎるからだ。仮に、自分の過去の嫌な出来事を書き連ねていったところで、読む方も書くほうも気分は重くなるばかり。ただただ惰眠を貪っているだけの私に、何か表現できることなどあるのだろうか。ややもすると、このような刺激のない時に思い詰め、悩んでいることを文字にすることこそ、文学的な思想というのが思い浮かぶのかもしれない。昨日もシッカリと掃除をし、部屋は片付いている。とても、坂口安吾のような部屋でブログは書けない。果たして、彼が断捨離をしたのならば、同じ作品を生み出すことはできたのだろうか。

空気を入れ替えるために、窓を全開に開けて記事を作成している。さすがに寒いので、パソコンの前の窓は開けられない。ただ、きちんと整理整頓された部屋で、なおかつ新鮮な空気を入れ替えると、やはり思考も明確にクリアな状態となる。そう考えると、今現在、自分の脳味噌を支配しているかの如く蔓延っている悪い過去の記憶というものを追い出す出口を見出すこともできるかもしれない。道は、続いているのだ。

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