思考力

もし〜でないなら

今月半ばに、とても大切な人と会う約束をしている。東京にいるその方と早く会いたいがあまり、東京に行く日程を前倒しにして会えないかと提案したのだが、やはり、お互いの予定がバタバタと変化するのも問題があるということで、当初の日程で会うこととなった。3年ぶりの再会となるため、せっかくなら見た目も整えようと、最近のストレス性過食でタップリと脂肪を蓄積した腹の贅肉を削ぎ落とそうと思った。まずは、食べ物の改善。大抵、ストレス性過食の場合、スーパーに行くのも辛くなり、コンビニ弁当をドカ食いするので、その脂ギトギトの食事を辞め、ナッツで空腹を紛らわせることにした。

ただ、それまでの食生活を変えるには、ナッツを食べる量を多くしなければならず、また、歯応えを感じて空腹感を得るために、噛み砕く強さも大きくなってしまった。すると、奥歯から「バキッ」という音とともに、異常に硬いナッツが、ムシャムシャと噛み砕いている口の中で、ゴリゴリと動いていた。ただ、気づくとそれはナッツではなく、他ならぬ自分の「歯」だった。千葉いい加減な歯医者から脱出するために、東京の20年以上お世話になった歯医者へ行って、治療を済ませたばかりだったので、そのショックは大きく、ましてコンビニの数より多い歯医者から、東京の歯医者ほど腕の立つ地元の歯医者を探している余裕はない。トンチンカンな治療をされて、総入れ歯になっては元も子もない。やはり、東京の歯医者へ行って治療を受けることが、最も賢くて道理に合った選択だというのは明らかだったので、再び、東京の歯医者に予約を入れた。

その歯科医院は、盛りに盛ったホームページなど掲げてはおらず、連絡先程度のサイトしか情報を載せてはいない。ところが、いつも予約でいっぱいだ。もちろん、新規の患者を優先して取り込むような、千葉の新規お客様獲得戦略などしているわけもない。やはり、信頼と実績が、最も患者を安心させる基であり、もちろん、その治療もピカイチ。引っ越し先の千葉で受けた治療の仕方が、いかに手落ちが多いことが身にしみて分かる。ただ、今回の歯の欠けの原因は、10年前に、その歯医者が治療した金属の下の見えない部分の虫歯であったため、先日の治療で見つけて欲しいという気持ちもあったが、先述したように、腐る程いる歯科医の中で「当たり」の歯医者を当てるなどは、ほとんど宝くじを当てるようなもの。だから、その歯医者の代打がいるわけでもないので、その歯科医師の治療に強く取り付く以外ないことが分かっていた。そもそもカタチある物は、全て壊れるわけであり、自費負担ではない保険適用診療内治療で、10年も金属の蓋がくっついていたことに感謝すべきであると思い、文句一つ言うこともなかった。

もちろん、私は歯のケアを最重要視しており、その歯科医師が唖然とするような、悪い歯の手入れをしているわけではない。もし、歯に無頓着なら、わざわざ往復5時間以上も通院にかける筈はない。歯科医が考える「歯の資産価値」が、一本100万円以上だということは、昨年末のブログで強調して書き綴っているわけで、やはり、普段当たり前のように感じている「食の楽しみ」という人生の醍醐味を失ってしまうことを考えれば、歯医者が溢れかえっている日本の中で、もっともっと積極的に、日本人は、歯のケアを意識しなければならないと勝手に心配している。

ここまで歯の重要性を力説した後で話が脱線するのだが、テレビなし生活が10年ほど続いている私にとって、最近の芸能界情報などには、めっぽう弱くなっている。例えば、病院や薬局の待合室や、銭湯で流れているテレビの映像。電器屋で嫌でも目に飛び込んでくるテレビコーナーの動く画面。まさに、電器屋に映し出される数々のテレビ画像には、全く同じ映像が流れているわけで、その絵に映っているヒトタチが、芸人なんだか、アイドルなんだか、アナウンサーなんだか、一般人なんだか、全く識別できなかったり、昔の面影が全く消えてしまうほど恰幅が良くなって、髪の毛がバックオーライのヒトタチもいる。

2020年のベストソングランキングにノミネートされている歌手の名前も、ほとんど知らないし、知らない芸人が知らない芸能人のモノマネをやっているのだから、笑うに笑えない。ただ、テレビ無し生活で困ったことなど少なく、ずっとインターネットやYouTube動画で、自分が知りたい情報を「能動的」に選択できていたので問題はなかった。そう考えると、インターネットが普及する前のテレビ放送に釘付けになっていた自分は、「受動的」に情報を与えられ、無批判にその情報をアタマに刷り込まれていたわけだ。ある意味、人生で最悪の生き方というのは、他人が指示したことだけに従うだけであったり、自らの考えを持っていても、周囲の「ドリームキラー」の囁きで夢を打ち壊され、決まり切った常識の範囲でしか行動できなくなってしまったりすることだと、私は考えている。

とある起業家が絶望を何度も乗り超え、社会の荒波に揉まれ揉まれて勝ち獲った「人生の羅針盤」や「成功の法則」に価値はない。一度敷かれたレールに従っているだけなら、移りゆく時代のニーズに合うことなく、同じような考えで一攫千金を狙うようなヒトタチで溢れ返って、その方法がアタリマエのレッドオーシャンへ続く。そうなってしまえば、応用性も生気もない生活しか残らなくなり、自己啓発されたはずの自分の考えが、ただ単なる世間一般の単純な回路であったことに気づくだけだ。成功した人の軌跡を追うだけで人生安泰だと信じ、ひたすら他人のマネ事をしている人は、中身がスカスカだということが、すぐにバレる。

情報が溢れ、汲み取れば「デマ」に踊らされるばかりの時代に突入した。昨日のブログで書き綴ったことなのだが、私の授業では、「何を教えないか」を見極めることが重要であり、解説していない箇所を自力で発見できるようになったときに、私は、その教え子の実力が確実に上がったことを確信する。そう考えると、この新時代に必要な考え方として、提示されている情報の裏に隠されている真実を見抜き、そこに騙されないだけの賢さを手に入れることが重要になる。言うなれば、“If ~ not...”の思考。

欲しい情報だけを、自分が検索することで取捨選択する能力を養い、必要な情報は、自然と耳に入ってくる話だけだと割り切る。そして、メディアの情報で信頼していい情報は、「ウェザーニュース」くらいだと強い線を引いておくことだ。インターネットの口コミなどあてにせず、今まで付き合ってきた人物や情報の方が、遥かに役に立つことが多いこともある。また、成功した人のところへ、実際に自分の足を運んで、目の前で話をしてみるのもいい。そう考えると、私の歯の治療に対するアクションと考え方は、最も理にかなっていると言える

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