思考力

父の教え

無駄な支出を減らし、できるだけコンパクトに生活したい。最近、特に“FIRE”について考えている。欧米諸国の目指す生き方。収入が支出を上回る状態。不労所得をいかに増やすかという働き方。これを完成させるには、お金の「減らし方」を、しっかりと2パターンに分け、有意義な支出と、そうでない支出を明確にしなければならない。3代固定費と考えられる「家」「光熱費」「税金」。これらを上手くコントロールしなければ、“FIRE”に到達することはできない。現在住んでいる賃貸一軒家は、以前のマンションよりも賃料が安いと思いきや、蓋を開けてみると「プロパンガス」や「浄化槽管理費」などの光熱費が削減できず、結局のところ、トータルでは引越し前の「家賃・光熱費」よりも上回ってしまった。あんなにテンションが上がっていた自分が、情けない。

では、今の事業が上手く行っているかといえば、これまた情けないかな「大赤字」。経費として貯めている領収書も、売り上げがなければただの「紙切れ」にすぎず、全く「節税」になっていない。3代固定費の全てが、今のところ全く上手くいっていないダメな状況だ。別に、いつでも愚痴を垂らして「クソだりー」「チョーウゼー」「なんか面白いことないのー」などと言っている、典型的な何をやっても上手くいかない人の特徴をなぞっているわけでもない。また、昔のように、出版社に上手く載せられて印税生活を目当てに自費出版本を出し、最高の不労所得を手に入れようと躍起になって、大赤字になったわけでもない。

これまた、そんな借金の返済を、胴元が100パーセント勝つように仕組まれている賭け事に没頭しながら、大赤字を解消しようと、朝から晩まで、三つの数字を揃えようとしていたわけでもない。仮に、そのような地獄の手前でギロチンが落ちてくるのを待つような生活を、今でも継続していたのなら、今頃、コロナ禍であっても、他県まで車を爆走させて数字を揃えようとしている「シカバネ」のような首を切られた胴体だけの死骸になっていたはず。奇跡的に「向こう側」にジャンプしなかったことに感謝せねばなるまい。

世の中には、私のように金融事故を起こして「ブラックリスト」に載ってしまい、クレカを発行することさえできぬ傷跡を背負っている者もいれば、予備校の最後の授業で「アンパンマンマーチ」を大熱唱して、「ブラックカード」を持ち、その気になればいつだって“FIRE”をできる経済的自由がある人もいる。経済的なステージで、そのような人と数字上の対決をすることはできないのなら、何に向かって本気で取り組み、その目標をクリアするべきなのだろうか。目指すべきは“FIRE”でありながらも、それが絵に描いた餅にならないように、日々のスモールステップを明らかで確実にしておく必要がある。

これからの日本は、少子高齢化が一層加速し、ますます「元気がない国」になる。これは不可避。高度成長期には、複数人で老人を「御神輿」のように支える余裕がある微笑ましいイラストが描かれ、今後の日本では、1.5人のヒトが、「騎馬戦」で顔を赤くして大汗をかき、鼻息を荒くしながら老人を背負っている図解を目にすることがある。日本の経済状況が、私のお財布を示しているのならば、いち早く日本の行く末の逆を行くための努力を、今より何倍ものパワーでしなければ、“FIRE”どころか『かちかち山』のタヌキのように慌てふためいて、燃え盛る草の束を背負って逃げていくことになる。そういえば、あの昔話のタヌキは、泳げもしない海へ飛び込んだような記憶もある。ただ、賢いウサギが爺さん婆さんを救って「Win-Win」「三方よし」の結末だった。そんな昔話で考えると、日本の高齢者問題解決するためには、高齢者の立場を最優先で考えなければならないと言える。

昔、何かのドラマで、高級外食店へ二人で行ったカップルが、ジーンズで入店することを断られ、渋々焼肉屋に行ったシーンを、最近、思い出したのだが、このコロナ禍の飲食業界の状態を考えたら、とんでもない愚行。来てくださったゲストを門前払いするとは、全くもって地獄の三丁目での寝言にうなされる狂気の世界。しかも、私の実体験として、幼い頃、中華料理屋で駄々をこねて大泣きしていた時に、スタッフからクレームが来て、店から家族ごと追い出されてしまった経験がある。店が客にクレームを言うとは、立場が今とは完全に入れ替わっている。そんな時代を経験している私が、レストランで大声ではしゃいでいる子どもを視てイライラする気持ちもわかっていただきたい。

今の高齢者の視点から考えると、私の親の世代が、私の年齢の頃、私の幼少期の行動を、どれだけ不快に思っていただろう。やはり、自分も愚行をしていたのだから、今の幼児が騒いでいることに文句は言えず、また、今や「爺さん婆さん」となった親の世代を支える義務があるとも言える。「お年寄りを大切に」という道徳的な響きのある美しい言葉も、そのような経緯を理解しているのならば、しっかりと受け止めるべきだ。日本の経済が下降の一途を辿っているのならば、それに対して生き方を変えなければならない。親世代が、バリバリ働いていた頃とは違うことを理解しなければ、前へ進まない。つまり、親世代のアドバイスは、現在ではスタンダードなアドバイスではないのだ。

父から、安泰した人生を送るために必要なことは、「大学」「就職」「結婚」だと言い諭されたこともあった。親父は、自虐的皮肉たっぷりの言い方で、「俺は公務員となり、大学を出て、こんなに素晴らしい奥さんを得たのだ」と、母の前で言い放ち、母は、「全部失敗!」と言って、大爆笑になった面白い思い出もある。大ベストセラー『金持ち父さん貧乏父さん』で考えるならば、父の考え方は、後者の父さんの考え方に完全に染まっているわけで、本気で“FIRE”を考えている私にとって、現代の価値観に基づく安泰した人生を送るために、「大学」「就職」「結婚」が全てではないと言えば、天国にいる父も納得してくれるかもしれない。

ただ、私の父は相当な頑固者だったので、そんな価値観を認めるはずもないだろう。ただ、父の言葉で私に強い影響を与えてくれた「若いときの一年は、歳を取ってからの10年に値する」という言葉には、今でも大いに納得している。そして、これから迎える「第4次産業革命」へ向かう世界の情報スピードは、今までの10年が、これからの一年に値するという考え方にも沿っている。父の時間の概念の認識を踏まえ、1日が10日の価値があると考え、日々を大切に生活し、“FIRE”を目指して生きていこう。

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