思考力

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視聴者は、ネガティブニュースに喰いつくというという習性というか「本能」を刺激することで、マスコミは、ここぞとばかりに悪いニュースを撒き散らす。確かに、私のブログであっても、何かを批判する方が、書きやすいというか、パンチの効いた文章になるような気がしているので、あまり偉そうなことは言えない。朝日とともに、クラシックのピアノ音楽を聴きながら、あるいは、CAFEで流れるようなボサノヴァを聴きながらでも、やはりトレンドニュースには、悪いニュースばかりが軒を連ねており、そこに意識が行ってしまう。

地上波なのだろうか、チンパンジーがニュースの司会者をやって、芸能人とトークをするような番組がYouTubeにアップされていたが、これが、人形ではなく「本物」の生きたチンパンジーというのは、驚きだ。そのようなサムネイル画像をクリックしたら、時間という貴重な資産を、ごっそり盗まれそうだ。ただ、そんな番組もあって、それが私への「オススメ動画」とされているのだから、私の最近の趣向や考え方が、原始人レベルにでもなってしまったのだろうか。それなら、ネガティブニュースに反応してしまう「動物的本能」が、反射的に出てしまうのも無理はない。

そんなこんなで、どこぞの大臣が、半笑いで「酒類の提供」を取締るような発言をしたことに対して、改めて反省の意を表している。協議しているはずの首相が、そんな発言をする人ではないと言う主張そのものが、何の根拠もないことになる。すると矛盾に矛盾が重なり、嘘をウソで塗り固め、気づけば、私が10年間戦い続けた役所のニンゲンの嘘で逃げ惑っていた行動や言動と同じだと気づく。主治医からは、政治家と役人が悪いことをしたときにする仕事は、「謝らない・認めない」というアドバイスだった。ズバリ、そうでしょう。

今回の大臣は、とりあえず誤って言ってしまった事に対して、「謝った」ということで見逃してもらえるのだろうか。そこまで甘い日本国民でもないと思うので、今回ばかりは、たっぷりと反省していただきたい。ただ、先ほどのチンパンジーではないが、昔は、「猿でも反省できる」なんて皮肉もあったが、まさにポーズだけで終わりそうな気もする。どこかの国では、大統領は命が狙われるほど危険なシチュエーションに陥るほどだが、NIPPONという国は、すでに「平和ボケ」に慣れ切ってしまったのかもしれない。梅雨末期のゲリラ豪雨で、どの地方であれ、災害の危険性がある中、国会周辺だけ積乱雲が発生するという現象は、なかなか想像し難い。お高いところからでは、国民の苦しみというのは、さぞ気持ちの良いものなのかもしれない。いや、きっとそうに違いない。

中国で、築30年のホテルが倒壊。死者・行方不明者が出ている。先月は、フロリダの高層マンションだったか。日本を含め、建築物が崩れ落ちるという現象が立て続けに起こっている。30年前の中国の建築物の設計が甘かったとか、フロリダのマンションの最終的な完全崩壊の判断と、飛散物などの被害が最小限に抑えられたことの素晴らしさとか、「盛り土」の安全性が低いことは予め分かっていたとか、そのことは差っ引いて、どんな事件や事故であれ、犠牲者が出てしまうのは、事実。先月、他界した母のように、日ごとに弱っていき、ゆっくりと息を引き取るという最期ではなく、突発的な災難によって、息を引き取るというのは、どちらが悲しいかという比較はできないにしろ、私を含め、残された遺族というのは、深い悲しみに包まれる。モノを「断捨離」するのとは、わけが違う。

シンプルな暮らし。私は、今日も新居の掃除とキッチンのコーティングや飛散防止のシートを、数センチ単位で切り貼りした。何かを失いたくないのであれば、最初から持たなければいい。手放せば、磨く手間は省け、持たざれば、選択する時間を省ける。片付けられないということを難しく考えることなく、思考の限界を超えるようなら、別れる寂しさを味わないように、出会わなければいい。これは、人間関係にだって言える。友達が多いことが、果たして良いことなのだろうか。独りとは、恥ずべきことなのだろうか。出会いがあれば、別れが来る。これは物事の真理である。これを理解していれば、残される後悔というネガティブな感情を抱かないためには、自分を取り巻く環境を、常に整理しておかなければならない。

ネガティブニュース。東京で、初の10歳未満のコロナの重症者が出てしまった。基礎疾患もないのに。マスコミの報道する「ここ」だけを切り取れば、日本のコロナ対策に漏れがあるような響きとなるが、逆に考えれば、これだけ都内で感染者が出ているというのに、今まで10歳未満の重症者が、「ゼロ」で抑えることができていたことを、称賛しても良いくらいだ。ワクチンを摂取するためには、「B型肝炎」などの他の疾患への抗体検査やワクチンなどの摂取もしなければならないという診療所が出てきた。昔でいう「抱き合わせ商法」。医療が、カネで汚れていく。いや、元々そのような世界であったのだろう。ただ、こんな緊急事態宣言のなかで、営利目的は、さすがに頂けないではないか。いや、こういう期間だからこその商売なのかもしれない。

人間が、1日に判断できる回数に限りがあるというのが、科学的データによって証明されたのであれば、情報の中に眠っているポジティブな側面を引っ張り出せるような姿勢を取り戻すことも、とても大切と言えよう。何も、この世の中、「悪が9」「善が1」という比率でもない。マスメディアが中立な割合で報道してしまえば、そこにリターンがなくなってしまうのだ。だから、メディアも商売なのだということで、多めにみてあげるくらいの心の広さが必要だと思う。ニュートラルであれば、商売が成り立たないのだ。

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