思考力

innocent exersise

昨晩もやってしまった。どうしても寝付くことができず、コンビニまで車を飛ばし、チョコレートにホットドック、ポテチに炭酸清涼飲料水。朝起きれば、その残骸はシッカリとリビングのテーブルに遺っている。寝ボケていたのだろう、シーツもチョコのシミが付いていた。そのような毒が、脳のドーパミンを垂れ流しにし、睡眠の質を悪くすることは知りつつ、眠気を誘発することも事実なのだから、とりあえず眠るため脳の麻酔だと思って口にした。実際、その後は、質はともかく眠れているわけだ。それでいいではないか。

そんな自分の不甲斐なさに言い訳をしつつ、朝日を浴びながらスケボーで近所を4周ぐらいした。つい最近、10年ほど履いていたスケートシューズの紐が切れた。「キン肉マン世代」なら、テリーマンの靴の紐の予言の謎をよく知っているだろう。不吉な予感がしたので、ボロボロのスニーカーから、新しいシューズを探しに行った。さんざん試着して購入した靴は「2200円」。最終的な判断を、価格で決めた。やはり、スケートシューズではないスニーカーでは、全くもって機能性がなく、今後はカカトを踏んで歩く「スリッパ」と化すことだろう。安物買いのなんとやらだ。

昔の常識が覆される。私が小学生の頃は、早起きラジオ体操が盛んであり、その参加の証のハンコをもらうのが楽しみでしかたなかった。可視化できる喜びは、とても大きい。私も、授業プリントには音読シートを作成し、「タテ5×ヨコ6」のマス目にハンコを押させ、そのプリントに捺印の上、提出させていた。音読もせずにハンコを押す人も居なかったようで、皆、進んで音読に勤しんでいた。子供騙しのようなことであっても、それでいいではないか。逆に、変に大人ぶって何もやらないより、子供のように夢中になって物事に取り組む姿勢は、どんな人であっても美しいことだと思っている。

そんなラジオ体操も、大きな批判を浴びた。起き抜けにカラダに反動をつけることは、身体の仕組みに良くないということで、運動前には「静的ストレッチ」と呼ばれる、ゆっくりと筋肉の繊維を伸ばすことが推奨されるようになった。ところがどっこい、それが今では間違いであることが実証され、身体が少し温まるような「動的ストレッチ」をする。つまり「ラジオ体操」は、正しかったのだ。静的ストレッチは、運動後にやるべきであり、ラジオ体操の立場が、再び上になった。つまり、通説が覆り、新しい考えが古い考えを押さえ込んだが、やっぱり従来の考えが正しかったという流れ。ラジオ体操が、裁判で無罪を立証されたということになる。

自分の立場の「絶対性」を表せることも、現在であれば、可能と言えば可能だ。SNSでの匿名性を良いことに、ある意見や、ある人の価値観そのものを「完全否定」するような輩がいる。これは、大きな社会問題であり、それで有名人が自死を選んだという痛ましい事故につながったケースもある。超エリート大卒であっても、人間的にはサイアクな人物もいる。これは、よく言われることでもある。だったら、そのような人の正体を早期に見抜き、できるだけ距離を取るか、完全に遮断する以外ない。そう考えると、成果を出せる人というのは、自分なりの幸福の価値観を持っており、それを侵害しようとする者とは見切りをつけ、人生を無駄にしない人なのだろう。相手に尽くすことは、とても大切な行為ではあるものの、時と場合によっては、ただのお節介になってしまったり、搾取される原因となったりする。

人を幸せにしたいのであれば、自分自身が幸福でなければならないということが、最近よく分かるようになった。そろそろ2ヶ月経過しようとしているブログ毎日更新の中、自分の過去を振り返ること、今を考えること、そしてこれからの生き方を冷静に判断する機会に恵まれている。これは、ゆとりある生活の中で得られた宝物だ。あくせくと働いて、たいして上がらない給料の中で購入した物があるとしても、物質的なものを手に入れた時の満足感というのは、時間の経過とともに薄らいでいくもので、昨日購入したスニーカーであっても、安い値で買えたという喜びも、今日になったら薄まるどころか「後悔」に替わっている。なんとも皮肉なことだ。

ただ、体験は違う。思い出という目に見えない価値は、何よりも時間の経過とともに強くなる。それは、プラスの経験であれ、マイナスのそれであれ。良いことが次々と起こっていた時の経験からは、多くの成果が得られたと思っているし、何をやっても失敗の結果に終わってしまう時期もあった。海外旅行に行ったとき、毎日を無駄に過ごさないように活発に動いた。大学生活の自由気ままなはずの時間に「鬱状態」で指先を動かす力も消え失せてしまった。そして、時間の経過とともに、そのような「経験」から得られた価値観の変化というのは、ますます大きくなり、今の考え方に強烈なインパクトを与えている。物質的な価値の多くは消滅していくが、経験はその逆方向のベクトルに乗っかって動いているのだ。

昨日、床屋の店主と話をしていたときに、コロナの影響でバイトができない大学生が、投資で金を稼いでいると言っていた。これは、無謀な行為だと私は思う。素人の短期投資が、たまたま上手くいったとしても、それは「ビギナーズラック」のケースが多く、プロの投資家でさえも「未来予測」は、不可能なのだから、絶対に素人の大学生が手を出すべきではない。そのようなギャンブル的要素のある稼ぎ方ではなく、しっかりとした積立投資のような稼ぎ方が、今は可能になった。「仕組み構築型」の働き方スタイル。これは、時間に余裕がある学生時代にこそ経験すべきだ。半年〜一年のスパンで、自分のプラットフォームを固めて自動で資金調達できる状態を作れれば、どんな人であれ、必ず大きな喜びを得られる。

IT革命が時代のスピードを大きく加速させ、資本主義社会から目を背けることは不可能な時代だ。常に、最新の情報と正しい知識を習得することが求められている。今の考え方が、実は大きく間違っていて、昔の「ラジオ体操」が正解だったという実例もある。さらに、再びラジオ体操のような動的ストレッチが批判される時代も出てくる可能性もある。眠っている間に資産が増える仕組みを作り上げ、雨の音に癒されるようにグッスリ眠り、肉体も心も健康な状態をつくりあげられるようにしよう。私の場合は、まずコンビニには近づかないというところからスタートのようだ。

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