思考力

存在しない恐怖

シチューでドロドロになった鍋。100年均一で買ったリンゴ皮剥き器。ジュースのペットボトル。目が醒めるなり、これだけの調理器具がシンク に散乱していた。夜中に、シチューを作って、知らぬ間に食べていたようだ。冷蔵庫を買って以来、中途半端に自炊をするようになったためか、野菜のストックをして、ルーを入れ、並べて煮込めば、簡単にシチューやカレーが出来上がる。夜な夜なコンビニに行くより、遥かに安全とはいえ、やはり無意識のうちに料理をしているのだから、ガスや火を使った料理など、絶対にできない。千葉に越してから、ガス栓を開いたことは一度もないのは、火事が怖いから。この判断は、大いに正しかったといえる。

前回変更した薬が、少し妙な効き方をしているようで、いきなり目が覚めて真夜中だったり、いつの間にか料理をしていたり。前回の受診で処方された薬は、少々乱暴なカクテルのようだ。ただ、このような薬の配合等による体の不調に悩んでいるのは、決して自分だけではなく、多くの精神を病んでしまった人たちに共通する悩み。自分のTwitterのタイムラインでは、自分の症状を、ハッシュタグでツイートしたり、精神的に苦しいことをツイートしている人に「いいね」をしているので、内なる苦しみを抱えた人のツイートを目にすることとなる。すると、やはり、みなさんが自分の病んでしまった心との共生に苦しんでいることがよくわかる。たまに、そのようなツイートを見たくない日もあるが、表示されたものは必然的に見ることになるので、今日もどこかしらで大きく体調を崩している人がいるということを知ることになる。

自分自身で「ヤドカリ生活」と言って生活している、ニート引きこもり生活。この生活には、今日はどんなことが起こるのだろうかというワクワク感はない。ただ、自分の中で、「守られている」という安心感がある。すべての悩みは人間関係から生じるとか、自分の周りの何人の平均が自分だとかいうけれど、誰とも付き合いがないのだから、そのような意味では気楽に生活できている。ガミガミと自分の怠惰な生活様式を否定されるようなことを言われたくはない。

やはり、自分の中に秘められたもう1人の自分との対話は難しい。しかし、そんなもう1人の自分などというのは、そもそも存在していないのではないだろうか。宗教や哲学、ヨガの境地などでは、「内なる自分」との対話や葛藤ということが最終目標になるのかもしれないが、そもそも存在しないものに拠り所を求めるということそのものが、実際に深い葛藤につながってしまっている可能性だってある。今、ヤドカリ生活進行中の私には、よく分からないことではあるが、解決しない難問にドップリと浸かって動けなくなっていた過去の自分がいることだって確かなこと。今は、自分自身という独りの自分を大切にしていこう。

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