思考力

溜めて吐く

日が昇る前に起きた。まだ、眠気が残っていたが、いざ起きてみると、体感温度も低く、二度寝をしようにも思うようにいかない。シンク には、昨日食べたと思われる弁当の入れ物が残っていた。やはり、夢遊して食べたものだ。二度寝など諦めて、今、熱々のコーヒーを淹れ、コトコトとシチューを煮込みながらブログを書いている。

そんなわけで、書く、淹れる、煮込むを同時にやっていると、コーヒーができて、シチューの鍋が沸騰。私は、書くときには、それに集中するために、同時作業をしないのだが、今回ばかりは、なかなか思うようにいかない。やはり、片手間に何かをするというのは良くないし、文章を書くという行為には、責任が伴うので、やはり自分自身の中で、書くということを軽んじてはいけないのだ。

クリスマス。イブも終わり、今日の夜からは、多くのケーキやらチキンやら、パーティー用の食材が大安売りになる。身の周りにあるどんな商品でも同じといえばそうなのだが、原価は一体いくらなのだろうかと不思議に思ってしまう金額で、クリスマス用品の残り物や在庫は、大量に破棄される。また、SNSとコロナの影響か、最近のペットブームに便乗して気軽に買ったペットを飼いきれず、多くの動物の命が強制的に奪われているのも現状。やはり、人間のエゴというのは、恐ろしく強い。特に、一過性のブームや、季節感のあるイベントには、自分の自制心というものを保っていられない。捨てられる食べ物や動物にとっては、たまったものではない。

クリスマスが終われば、大晦日に大掃除をして、その勢いで初詣に行く。そんなベルトコンベア状態の動きをして、果たして御利益はあるのだろうか。私は、一年前には、そんな行事には参加しなかった。だから、今年は大怪我で瀕死の状態に陥ったのかもしれない。ただ、私のようにお正月を盛大に祝わなかった人も多くいるわけで、そんな人たち全員が、頭蓋骨と腰の骨を骨折したわけではない。やはり、神がかり的な不運というより、眠剤の危険性を軽視した自分が、たまたま自転車の操縦を誤っただけというしかない。

最近、英検の問題を解くようになった。やはり、もう教鞭をとっていた頃のキレはない。長文を読んでいても、過去の強いトラウマが脳裏を支配することもあるし、まず文章全体に目を向けてから問題を精査しようとしても、焦りからか1行1行に囚われて、文章全体の流れに対応できずに飲み込まれてしまう。

しかしながら、問題を解く練習をしているうちに、やはり昔の力というのは戻ってくるようで、長文読解等に不可欠な「集中力」が蘇り、今度は過去のトラウマなど、思い出せないほど早く時間が過ぎ去る。こうなれば、こちらに追い風が吹いたようなもの。自分の中に眠っていた過去の傷跡と、自分自身が講師として積み上げてきたものが重なり合い、後者が打ち勝てば、私の人生に活気が戻るはずである。いや、そうに違いない。今日も同じ一日を過ごす幸せ。ヤドカリの甲羅の中で見つけた、ささやかな幸せがあれば、今は十分である。

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