思考力

長期空白

2ヶ月前の6日の深夜。眠り薬を飲んでも、なかなか眠気が来ず、小腹が空いていて、牛丼屋へ行ったのが、運の尽きであった。食べ終えた帰り道に、眠剤の効果が強く効き始めた状態でフラフラになっていたのにも関わらず、身体が上手く言うことを聞かないという言い訳になってしまうのだが、夜道をクラクラと滑走し、アパートの駐車場へ到着。私のアパートは、駐輪場へ自転車を持っていく時に、4段の段差を乗り上げなければならず、ハンドルを上げた瞬間に、自転車全体が、フッと軽くなって、秋の綺麗な夜空に自分の自転車が優雅に舞っている。さらに、その右下から左上に向かって、私の右足がゆっくりとシッカリと真っ直ぐに伸びる。これは、本来一瞬のコマ送りの「瞬間」なのであるが、その時は【ZONE】に入っていたので、まるでその一瞬が、美術館で絵画を鑑賞するかの如く、ゆったりと3枚の絵を鑑賞したかのようであった。

自転車のハンドルを握ったまま、強いバックドロップを受けるような形となったため、受け身も取れず、シタタカに頭蓋骨にその強い衝撃を受け、頭がの中が震える。痛みはそれほどなかったのだが、後頭部を強く打っていて、これは尋常ではないという事を自覚し、自分で救急車を呼んだ。後で聞くところによると、救急車は1時間以上、事故現場から離れなず、どの病院へ搬送するかを押し問答していたようだ。私は、フルパワーのクリーンヒットのパンチを喰らったボクサーのような状態で、「立てますか?」の質問へ対応すべく、立とうとしたのだが、階段の下に向かって、赤ちゃんがハイハイをして滑り落ちるような状態しかできず、それを観た野次馬たちは、私が酒を呑んで転倒したいたという身勝手なジャッジを下してしまったようだ。

搬送先の病院で意識が戻り、目を開けると、何やら酷く重い空気。少しずつ少しづつ意識が明瞭になりつつあると、自分は、ICUの一歩手前のHCUという場所で治療を受けていた。他にも患者がいたので、心電図の大合唱の音が、まるで自分の脳天を金槌で脈打つようの殴りつけている感覚。もちろん、私の都合で心電図の音を止めてもらうわけにもいかないし、耳を強く塞いでも聴こえてくるヘンテコリンな音もある。こればかりは消し去ってもらいたいと思い、ナースマンへ音を止めてもらうよう懇願すると、その妙な音は、意識朦朧としている私の弱った身体からくる「幻聴」だと知った。

そんなこんなで、これ以上、私の自転車転倒事故の愚痴愚痴した絵日記のような文章を書き綴っていようと、読んでくれる人どころか、書き手の自分ですら、退院後のリハビリと今の病状まで書ききれないことを知る。だから、この事故の話は、毎回少しづつ書き綴りたいと思う。ただ、こんな大惨事の中であっても、私の携帯の連絡先に保存していた、一触即発状態である兄、母が他界するまで特にお世話になった叔母さんのところに、救急隊が連絡を入れ、翌日には私が意識不明にも関わらず、安否の電話をしてくれ、兄に至っては、横浜から千葉の山奥にある病院まで、義姉と共に車で駆けつけてくれたということ。私がどんなに独りであると言い張っていても、必ず自分のことを心配してくれて、無償であっても、自分を救ってくれる人が必ず存在してくれていることをありがたく思う。

2年ほど続いていた、こんな拙いブログであっても、毎日更新していれば、やはり愛着も湧く。ただ、やはり自分の中で「毎日更新」というプライドが、自分を支えていたということもあり、今回の大怪我で1ヶ月ほど入院して、その目標が断たれてしまい、正直、孟辞めてしまおうかとも思った。ただ、こんな自分のブログが更新されていないことをずっと心配してくれて、プライベートではほとんど使わなくなったLINEから安否確認をしてくれた友人がいた。このブログの音声読み上げ動画にも収録してある「ドカベンくん」。彼の見返りを期待しない大きな優しさが詰まった器が、今回も大きく私を救ってくれたようだ。ありがとう。

-思考力