思考力

ヒーローの悪口

 

受験業界には、しつこいと言えるほど固執し、何とか今までやってきた。ただ、私にも生活がある。昨日は、ハローワークで、違う職種の求人に応募した。自社のプラグラムには、もちろん絶対の自信をもっているのだが、なにぶんに、思考力養成予備校の門戸を叩いてくれる人がおらず、新時代の常識である「副業」に目を向けた。やはり、私の生活であれ、コロナ禍ということを差っ引いても、クリスマスに向かって進む時計の針の音に合わせて、雪が降るのを祈りながら読書をし続けるほど裕福ではない、

今日は、今季1番の冷え込みが予想されているが、私の財布の穴からは、まるで冷凍庫の風のような凄まじい突風が流れ込んでくる。ただ、年内には消費者金融への借金も返済できそうだし、車の死角に入り込んでしまった歩行者を跳ねたりしなければ、ようやく自分の人生に集中できそうだ。そうなれば、やはり心にも幾ばくかの余裕も生まれるもので、他人を許せる人間になれるような気持ちがする。ただ、これは毎回、ただの一時的な「気持ち」になることが多くて、あまり長続きしないことが今までの経験上分かってしまう。

私のように、気が小さくて心のバランスを崩しやすい者は、やはり悪い意味での「お人好し」であるからして、「人に優しくする」というのが、人に「易しく」するという、弱っちい生き方のスタンスへと降格してしまうのだ。長い間、塾の講師を続け、本来なら怒るべきタイミングをいつも逃していた。目の前で「死ね」と生徒から言われ、萎縮してしまったこともある。もはやそんなことは「時効」のはずだが、私本人にとっては酷いトラウマであり、そのことについて赦すことは、一生できない。さらに言い方を変えれば、器が小さいのである。

成功者には、一定の法則のようなものがあるそうで、人の悪口を言わないというのが、ほぼトップテンに入っている。ただ、私はそうは考えない。仮に、影口であれ悪口であれ、「許せない」という気持ちを誰かに吐露することは、ダメージを緩和してくれる大きな材料になると思っているから。もし、誰かを悪く言わないことが、成功者の絶対条件なのであれば、私は敗北者なのだろう。ただ、敗北者の中であれ、その中のエキセントリックな人間であれば、特殊な人材になれよう。誰しもがもつ「許せない」という怒りの感情を糧にして前へ進む。ここに、多少の悪口や口が入ったとしても問題ないと私は考えている。

最高なことは、そんな負の感情と言われている「悪口」をネタにして笑いを取れるようになることだと思う。

 

 

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