思考力

人生のBGMとしてのJAZZ

 

ドラマには、必ず「エンディング」という場面が存在する。ドラマであれば、オープニングから終わりまで、何度かの波乱万丈ありつつ、クラマックスに向かって話が進んでいくわけだ。このように考えたときに、今だに完全に収束のエンディングを迎えていない「新型コロナウィルス」は、まるで長編ドラマのようだ。そんな延びに延びている悪夢が引き起こした「世界経済打撃」は、全くもって計り知れず、死者や生活困窮者などの数字は、莫大な数が出てしまっている。日本政府が行っている経済成長対策や困窮者に対しての給付金の分配も、結局は、巡り巡って、政治家らの懐が温まるか、綺麗事を言いながら、政策を打ち出した政治家のポジションが安定するような発言に感じてしまう。私の猜疑心が強すぎるのだろうか。

こんなにも大きな火事を出した国が、平和の維持を断固として守っている国の空域に、何の遠慮もなく入り込んで自分たちの持つ軍事的兵器のアピールをしている。世界に、自国の強さと恐ろしさを示しているパフォーマンスなのであろうが、その見せしめを受けている国にとっては、とんでもない迷惑行為である。完全に独立し、自分たちの力で発展しようと思っていた台湾が、勝手に放火されてしまったが如く、成長の足踏み状態で終わってしまう台湾の不運に同情しつつ、コロ助をバラ撒いた国への怒りというものを消すことを、私はできない。

私のような、世間に対して影響力などを持たない人間が、何を言ったところで、資本主義が共産主義や社会主義に変わることもない。ただ、こんな秋の夜明け前に、まるで高級ホテルのラウンジで流れるようなJAZZを聞いて、そのホテルのカフェのコーヒーの味を楽しみながら、暖かい気分になれる自分は、幸せだ。何歳になったら、何かを捨てなければならないということなどない。サーフィンをしようが、スノーボードをしようが、スノーサーフィンをしようが、誰に咎められる筋合いはないと思っている。不眠症で服薬しているとはいえ、就寝時に、穏やかな気持ちになることに文句を言われる筋合いもなかろう。

ただ、誰に文句を言われずに生きていこうとすると、どうしても自分一人の力で解決しなければならないことも多くなり、その問題の規模が大きくなるほど、自分の中での「緊張感」のような不気味な気持ちが生じてしまうこともある。特に、最近の自分の中で大きな問題であることは、やはり経済的な問題で、いち早く新首相が生活困窮者に対して援助を行う政策を出してもらいたいと思っている。結局のところ、日本の政治や経済の動きに対して、不平不満を言おうとも、自分を守ってもらいたいと思っているわけだから、私など、大きなことは言えない身分なのであろう。

ここまで経済的に追い込まれると、やはり自分のこれからの生き方に対し、大きな不安が付き纏うものだが、心配事の8割は実際に起こらず、残りの15%程度は対処できるという「科学的データ」というのは、今、経済的ピンチを迎えている自分には、とても安心感を与えてくれる材料だ。だから、まるで緩やかなJAZZのように、各々の楽器が自由な音を出しつつ、その音楽全体が美しいハーモニーを奏でられるような、ひとつの人生の音色を、美しく創り出したいと想う。

 

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