思考力

不可視な自由を失わない

 

昨日に連れた魚を捌いた残骸をゴミ袋に入れ、夜明け前の薄暗い中、ゴミ捨て場へ。秋の夜長とも言われるが、最近、めっきり陽が落ちるのが早く感じ、夜明けも遅い。ただ、このように秋の釣りを楽しんだ翌日に、スッキリと目が醒め、このブログを書き終えたら、何をしようかと考えられる自由な日々を享受できる毎日には、とても感謝している。サーフィンに行こうか、スケボーで留めるか。釣りは昨日行ったので、緊急事態宣言解除後初のカラオケも悪くはない。やはり今日の欠かせないイベントは、床屋は、行くことにしようか。

朝活用のスターバックスの優雅なJAZZ。手書きの原稿を書き終え、美しいBGMに、鳥の鳴き声が聞こえる夜明けに、マックのキーボードを弾く。今日は、取り立てて「早朝覚醒」でもないので、心地良い朝を開始するには、ピッタリだ。こんな毎日を、ずっとずっと続けるためには、やはり、投資をすることや、不動産を持つこと。ブログ、YouTubeからの収益。どれも、ある意味では、自分の努力とは無関係に、仕組みさえ構築できてしまえば、金の鶏が卵を産んでくれる状態を作る。いわゆる、不労所得を収入の原点とする生活こそが、自由で幸せな日々を運んでくれる。幸せをお金で買うことができるとすれば、そんなニワトリを沢山買い、それを飼い馴らせ、太らせていくことが重要となろう。

今朝も、ゴミ袋を運びながら、どんどん自分の部屋からモノがなくなっていくことに気づく。断捨離をし、ミニマリストに近い状態を目指す。手放せば、磨く手間がなくなり、心がスッと軽くなる。ワンルームに引越したことで、手放さなければならないという義務感がなくなり、どんどん手放したくなる状態にまで辿り着くことができた。そんなシンプルな暮らしと空間の中で、やはり自由な発想というのは生まれやすく、いつも、憧れの”FIRE”を達成してからのことを考えては、幸せに浸ることが多くなった。

この年になるまで、いろいろな無駄が、あまりにも多すぎたことに気づく。そして、自分の人生が、どれだけ浪費の上に成り立っていたのかを知る。家計をやりくりすることで、大きなくくりで言う、生きるコツを学ぶ。他者との関わりや、生活品質の向上や、物を流用することなど。千葉に移り住むことによって、見栄を張ることの価値の無さと、人生の波に乗ることの大切な意義を学んだ。先日、ノーベル賞を受賞した人の業績には敬意を表したいところだが、その人の存在が、私の人生に直結していたわけでもない。今は、自分の人生の好転ばかりを讃えたいと思っている。

新内閣の官僚名簿には、全く新しい顔ぶれが並び、コロナの担当大臣全員が入れ替わった。その背景に何が動いているのかは、今のところは不詳ではある。ただ、毎日毎日のコロナの新規感染者数が、マスコミの表現を変えての報道で減っている事実には、何らかの意図があるのではないだろうか。マスコミと政治と現実の世界には、強いつながりがありそうだから。

ただ、可視化できることには、嘘偽りはない。深夜2時頃に、青森県で震度5強の地震があった。今、体調が良い私が、深夜の2時に地震で叩き起こされたら、一気に具合が悪くなる。それより何より、被災してしまった人たちは、大丈夫なのか。そして、いつ勃発しても良いような「南海トラフ地震」のような、予測されている大きな地震だってある。もはや、明日は我が身であり、世界を大混乱の渦に巻き込んでいるコロ助の大発生という未曾有の疫病。疫病が流行れば、天災が起こるという歴史的事実からも、やはり、今回の青森の地震は、天災が多い今後の日本の行く末を考えさせられる。

くだらないエンタメ系動画を観て、ガハハと大笑いをし、その配信者にシッカリと利益が還元されていることも分からぬ人たちであれば、自分が額に汗して手にした金をドブに捨てているようなものだ。私は、そんな愚行はしたくないと思いつつも、早速スケボーを蹴って、朝の散歩とご近所の人との雑談に勤しもう。自由を感じることに遠慮することもないと思っている。

 

-思考力