思考力

長いヤツ・短いヤツ

昨日の“Hip-Hop-Jazz”の名残の影響なのだろうか、今日のYouTubeのオススメ動画に表示された曲は、“TOKYO  BEAT Jazz インストゥルメンタルラウンジ”と“Night Taxi Hip Hop Mix 夜の帰り道に聴きたいHip Hop R&B”だった。まず、”TOKYO BEAT”を選曲すると、何やら大人げな夜のBarの雰囲気。なかなか悪くない。もう一曲の“Night Taxi 〜”を聴こうとしたら、すでに「オススメ動画」からは外れていた。音楽には疎い私が、最近とりあえずBGM選曲に凝り始めているので、Jazzと“R&B”の聴き分けをしたかった。それなので、比較対象がなくなってしまったのは残念だった。

ただ、今流れている“TOKYO BEAT”のダンディーな男性と魅惑的な女性が、カウンターで肩を並べて、酒を嗜んでいるような音調は、昼過ぎに起きてしまった私には、なかなか趣深い。毎日、ブログを更新しながら聴いているBGM。それなりに耳が肥えてきて、やはり、私の文体にまで影響を与えているようだ。なかなか起きられなかった今日。少しアダルトな音楽を聴くと、下手に心を動揺さずに落ち着いているように、曲そのものが、自分の走る指先の動きを制御してくれている。ラウンジでカクテルを飲んでいる女性の隣で、自分がバーボンを呑んで咳き込んでいては情けない。そんな気持ちでのブログ作成だ。では、落ち着いた雰囲気の中、日本の現状の姿あたりから、ブログを組み立てていこう。

日本の仕事の採用基準において、労働条件で「年齢制限」があることが多い。制限があるということは、若いほど良いわけで、「35歳まで」「40歳まで」のように区切られている。ただ、職安に行って職を探すとき、年齢制限で引っかかると、やはり自分が歳をとったのだという気になって落ち込むことは意外と少ない。そもそも、私がやりたいと思う仕事には、あまり年齢制限がかかっていることがない。むしろ、今までの経験があるかないかを選考の基準としているケースがほとんどなので、極論すると、年齢が高いほど良いと言える。

そう考えると、私が職を探す時の基準となるモノサシは、年齢制限がある職種を外すことから始まる。やりたくないような職種には、たいてい年齢制限があり、具体的な仕事は言及せずとも、そのような職種のほとんどが「コンピューター」に代替されていく職業だ。例えば、35歳という年齢制限がかかっている仕事があるとしよう。そのような仕事の多くは、あと10年後に残っているような仕事ではなく、私から見るとではあるが、早めに逃げるべき仕事であることが多い。もちろん、法に触れず、そこに賃金が発生するのであれば、それは立派な職業として成立するわけであり、職業差別をするつもりは全くないが、ここを「ドライ」に考えなければ、何やら甘っちょろい視点でしか現実を捉えられない意見にしかならないような気がする。

Protractor with ruler isolated on white background

Schoolboy Hands with Ruler Drawing on White Paper. Mathematics Concept.

後になって気づくことは、世の中にはかなり多い。それは、誰かや何かに対する「偏見」「先入観」「固定概念」であることがほとんどで、なんで気づかなかったのだろうかと思うほど、地味で目立たない人や物事が、大きなポテンシャルを内蔵していたということに、時間の経過とともに、浮き彫りになる。そような発見というのは、やはり、時間の流れの中で明らかになることであるから、見向きもされない対象に光が当たる時というのは、その場所やニーズにマッチした新しい常識になった瞬間でもある。自分の考えに自信を持ち、それまでの知識が間違っていたことに周囲が気づかせるためには、やはり、それ相応の時間が必要。

Shot of a young couple hiking through the mountains

例えば、世間一般の固定概念として、サーフィンのボードの長さを考えると、この話がスッキリする。サーフィンをやっていることを誰かに話すと、ほとんど全てと言って良いほど「長いヤツ?短いヤツ?」と訊かれる。このような質問の裏側には、たいてい「ロングは簡単、ショートは若者」のような固定概念がある。サーフィンがオリンピック競技になって、ショートボードに乗って、若い選手がビシバシ技を決めていて、それをレポーターが突撃体験取材をするときには、必ずと言って良いほど「長いヤツ」が用意されている。こうなると、先ほどの「長いヤツと短いヤツ」の難易度が、世間一般のサーフィンの難易度の基準と常識になる。

このような先入観は、実際にサーフィンをしている人たちにも浸透している。まず、体験レッスンやボードを購入するときに勧められる板というのは、いわゆる「長いヤツ」で、徐々に板を短くしていくことこそが、上達のまでの最短距離であり、最速の上達法だと思われている。そんな世間の風潮の中、これを、真っ向から反論するサーファーがいて、別に世間を煽るわけではなく、しっかりとした自分のセオリーで、「長い板は難しく、短い板は簡単」だと、YouTubeで発信し続けている人もいる。そのような人のアドバイスが、どこまで世間に浸透するかは別として、やはり、自分の考えを確立しているのであれば、それを堂々と発信することは、とても大切だと言える。

「未来は誰にも読めない」。これは、特に投資の世界では、常識的に押さえておかなかければならない考え方だ。この「未来は読めない」という考え方は、「常識」以前の「前提」であり、時間の経過とともに市場が変化するというのは、間違いのない「真理」のようなもの。だから、ここの考え方だけは、最低限、固定しなければならない。では、確実に変化する時間の中で、変わらない「前提」があるのならば、その中で自分がどのように資産を分配するのかは、やはり自分の判断次第だ。つまり、どんなにスタンダードな投資方法であれ、どんなにエキセントリックなギャンブル的投資方法であれ、全ては、自己責任だ。もしかすると、スタンダードな投資が、実は実りが少なくて、今では無茶だと思われている投資こそが、近い将来の安定した投資方法になっていくのかもしれない。

散々罵倒されるが如く、開催中止が叫ばれているオリンピックの開催が決定して、世界から除け者になったとしても、日本人のサーファーがメダルを独占すれば、日本のサーフィン業界が活性化するかもしれない。ただ、変異株のウィルスを持ち込まないように対策を立てたメダルなのであれば、日本人で独占された表彰台のメダル獲得は、少し複雑な心境の結果となるであろう。

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