思考力

Stop the TIME.

私が、ゴミ箱として使用している物は、「段ボールの箱」。理由は、段ボールの方が「水気」を吸いやすいから。最近では、コンビニなどでのビニール袋も有料化しているので、予めプラスチック袋をゴミ箱にセッティングして、それを引張利だしてゴミ袋に入れるやり方も、なかなかできなくなってきた。そのようなわけで、多少の見た目の悪さは承知の上で、段ボールゴミ箱には、とても優秀な機能が備わっている。

昨日は、6000文字を軽くオーバーした、読み返す気力も湧かない長いブログを書いて、そのまま「しゃぶしゃぶ屋」に行き、いつもの最安値コースで、肉と大量の野菜を腹に入れた。この「しゃぶしゃぶ食事法」が、果たしてカラダに良い影響を与えているかが定かではなかったので、前回の膝のヒアルロン酸の注射の時に、血液検査もしてもらった。全身の器官の数値が正常であるかが、3週間後に判る。この半年近くの「炭水化物抜き1日一食しゃぶしゃぶダイエット」が与える身体への影響を考え直してみよう。

しゃぶしゃぶの後は、「ひとりカラオケ」。私の住む地域では、この御時世で、東京にもある大手の名の通ったカラオケ店が閉店した。それで、聞いたこともないようなカラオケ店に入ったら、あまり良い建物ではなく、スタッフも好感度が高くなかった。しかしながら、昨日で3回目となったカラオケ店は、大当たり。会員になったのだが、この店は採算を取れているかのかと疑問に思えるほど安い。知る人ぞ知るというような、サイトの目立たないところにある「99回使えるクーポン」を提示したら、いつでも6時間フリータイムで、ドリンク飲み放題。一人カラオケの弱点である、熱唱中に登場するスタッフの「ドリンクお届け」がなく、レストランのジュースバーのようななところへ行って、自分の好きなドリンクをコップに注ぐ。

絶対こっちの方がいい。ただ、終了15分前のコールがないから、終了時間が気になるかもしれないが、流石に6時間ぶっ通しで歌い切ってしまうほどの歌唱体力も、レパートリーもないので、こちらも全く問題ない。そのクーポンは、あと「98回」使用できるので、いつでもご機嫌なカラオケ生活をエンジョイできる。釣りにしろ、シャブシャブにしろ、カラオケにしろ、はたまた波乗りやスケボーにしろ、千葉へ移住し、会社員からフリーランスになった自分にとって、一人で心ゆくまで堪能できる楽しみが増えてきた。

結局のところ、一人で楽しむ分には、誰からも文句を言われることもなく、お財布と相談して、やりたいことをやっていればいいわけだ。フリーランスともなれば、出世競争もなければ、時間に雁字搦めになることもない。まして、独身ともなれば、鬼嫁に自由を奪われ、家族中心の考え方しかできなくなり、家庭のための貧乏脱出計画に躍起になる必要も全くない。人生を心の底から豊かにできる状態は、私にとっては、妻とのラブラブな生活でもなければ、成長する子供を言い諭して口論することにも存在しない。私の豊かさは、独りの時間にある。

あくまでも、そのような考え方は、私の中にある価値観なので、それに賛同してもらいたいとも思わなければ、否定される筋合いもない。ただ、私にとって、脳の回路を柔軟な状態に浸していると、常に思考回路が柔軟かつ明晰な状態になり、ガチガチに固まったルーティンの中で、自分の決断すら下せなくなっている状況に陥らならなかったことに感謝する以外ない。先日行った釣りの食料となった、7匹のコノシロの残骸を、段ボールのゴミ箱に入れていたが、流石に生ゴミということもあり、異臭を放っていた。ただ、それに不快な思いをするのは、他ならぬ自分だけ。ゴミ捨ての時間に起きられなくて、処分し切れていなかったが、家族の誰かに文句を言われることもない。実に快適だ。

そして、昨日仕上げた「ピアスくん」というタイトルの長文ブログの記事に記してある通り、眠れないから世を明かしてブログを書き、そのまま釣りに行き、「ピアスくん」と出会って、その内容を文章にする。このような自由な時間から生まれる文章を書き綴れるのは、やはり独り身だからこそ。夜を明かして釣りに行き、12時間グッスリ眠って、しゃぶしゃぶ食い放題。次に向かうは、カラオケボックス。一人だから同じ曲を二回歌おうが、相手が知らない曲で遠慮して歌えないような曲であろうが、何にも気にする必要はない。東京とは違って、駐車場など余るほどある。車で行けば、強制的にアルコールを飲めないので、身体への影響もなく、ストレスが気持ちよく抜けていく。

帰宅すれば、風呂を沸かして、デンタルフロスでお口と歯ののケア。落ち着いて薬を飲んで横になれば、「眠れるBGM」も必要なく深い眠りに入り、気持ちの良い朝に、コーヒーを煎れつつ、数日間段ボールに入っていたコノシロの残骸をゴミ捨て場に行って処分して、「ゆったり朝カフェBGM」を流して、ブログを書き綴る。ここまで、自分の生活の自由を書き綴れば、誰も読んでくれていない自分のブログだとしても、究極の自己満足を感じ、自分の目指すべき目標の頂点が、お金で満たせるモノではなく、いかに自分の脳の中へ「幸せホルモン」を分泌させられるかという方向にあると実感している。

このようなブログを書き綴り、日々、自分の思考回路の確認を行い、音声として残していくと、自己肯定感が溢れ出し、ブログを書くという「魔力」とでも言えるほどの「神秘的パワー」を享受できる。考え方が、モノを買うことから、モノを買わずに「経験」を買うという方向へ完全にシフトした。日々の文章作成によって完成した「自己洗脳」だ。自分で大量のコマセを、限りなく安価で量産する方法を考え、今まで磨き上げたスキルを異次元の領域へ到達させるために、できるだけ安価な「フォイルサーフボード」を購入し、新しい経験を得たい。モノは不要。経験を買いたい。

カネを中心に考えるニンゲンに囲まれると、「見栄」で自分を固める以外なくなってくる。すると、外見でしか判断できない奴や、夢のない世界の話の愚痴を垂れ流す奴、果ては、自分からカネやモノを搾取しようとするアホまで出現する。もう、過去の経験から、思い出すだけで吐き気がするような危険人物が、元々は、カネによって出現することが分かってきたので、近寄ると心身共に不調をきたす。だったら、その対策として、人生でどれだけ「自由な時間」を確保できるかということを考えることが、最善の策だと思えるようになった。

起きていても、眠っていても、「このまま時間が止まったらいいのに」と感じられるような幸せを感じられる人生は、極めて貴重だと思う。

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