思考力

2種類の同じ言葉

気づけば、4月。前の月の3月の31日間は、まるで「エイプリールフル」のような、間抜けな1ヶ月だったかのようだ。なんだか、家にいても寒く、それでいて何かに急かされるように1日をこなしていく。いつも通り過ぎる公園の駐車場に、多くの車が溢れていることが、花見客の車だと気づくのに、少々時間がかかるくらいだった。朝起きて、集中を促すBGMを聴きながら、日々ブログを書き綴る。そのルーティン化に躍起になり過ぎていたのか、生きがいを感じていたはずのブログ更新に対して、無意識のうちに「疲れが取れない」状態になってしまっていたのかもしれない。美しい春の朝の日光を浴び、この先ずっとスケボーを蹴っていれば、もう悩みなどなく、優雅な生活を送れると思っていた。

何か有意義なことをしようと思い、今朝は、千葉市へと車を走らせ、市原という場所にある「海釣り施設」で釣り糸を垂らした。千葉で3年以上生活し、千葉都市部へ車で行くのは初めてだった。車を手に入れ、すぐに外房から内房へと横切った時の峠の恐怖が忘れられず、車の運転は、外房のみと決めていたが、これからもそうなりそうだ。理由は、都市部に近づくほど渋滞が多くなり、しょっちゅう赤信号に捕まる。無言のプレッシャーがかかった朝のラッシュで、いろいろな車がイライラしているようだった。そんな雰囲気に嫌悪感を感じていると、東京にいた頃の運転で、当時、いかに無理をして車に乗っていたのかが分かる。

健康に関する動画から、様々なことを学んだが、やはり「食事」と「睡眠」をいかに大切にするかという結論に至る。今日のドライブでは、強烈な眠気と、異常な食欲に負け、コンビニ弁当を食って、家に着くなり4時間以上眠った。今、午後4時半。やはり、夕方のこの時間の寝起きに書く文章は、私的なことが多く、自分の書いている文章に魂が込められておらず、覇気がないことも、薄々ながら感じる。私としては、あまり意義を感じていなかった、二回目の緊急事態宣言解除後に、新型コロナウィルス感染者数が増加したことは否めず、やはり、外房の田舎で精神的にゆっくりとしていた方が身の為だと、改めて感じた。

最近の読書量は、少ない。とはいえ、仕入れている情報そのものは、この1年間で、信じられないほど多くストックできた。紙の本の大切さは分からなくもないし、動画を配信しているインフルエンサーも、動画からの知識だけではなく、紙媒体の本からの知識の習得を推奨している。ただ、自分にとって、紙の本を読むというのは、なかなか苦痛であり、失敗して購入してしまった本が、本棚にディスプレイされるたびに、自分の読書習慣の継続の意思の弱さが分かる。動画で、昔のアニメを観たり、サーフィン動画に観入ってしまい、時間を吸い取られなければ、そこまで「本」に固執する必要もない気がしないでもない。

確かに、本というのは、それを書いた人の魂の結晶だ。強い批判を浴びたが、私なりに2冊の本を執筆して分かる。今、読み返せないほど恥ずかしい内容の本であっても、その時の情熱の入れ方は強いものであり、圧倒的に自分と向き合い、1文字1文字に自分の考えを載せていった。確かに、「印税生活間違いなしですよ」という口車と、契約書のすり替えによる「詐欺行為」によって書いた、ただの言葉の羅列にしかなっていない「黒歴史書」にしかなっていないけど、自分の思いを分かってもらいたい、読者へ伝えたいという気持ちに、嘘偽りはなかった。

英語でも、敬語表現は存在する。ビジネスで遣われる言葉と、口語の文体は別口で表現する。日本語の敬語表現は、英語のそれとは比較にならないほど複雑で、かつ繊細である。ただ、現代の日本人が、正しい日本語を遣えているかというと、私の答えは完全に“NO”だ。SNSで飛び交う日本語には、断片的なコトバしかなく、いかに自分の表現が奇抜になるかを考えて、キャッチコピーを派手にすることばかりを考えた「深み」のない、視覚的に訴えかけるだけのカタチにしかなっていない。

人間として生まれてきた特権は、「言葉」を遣えることである。人間として生きる上で後悔しないポイントがあるとすれば、いかに言葉を正しく、いかに言葉を大切にできるかということにかかってくる。インフルエンサーが投げかけてくる、危機的な状況を煽るような動画を観たとしても、それに支配されるだけでは、全く意思を持たない兵隊のような生き方を選ぶことになりかねない。保護者であれ、先生であれ、何かを発言する影響力がある人であれ、他者に言葉を投げかける際には、そこには必ず「責任」が生じ、相手がその言葉で雁字搦めに支配される危険性さえあることを肝に銘じておかなければならない。

困難を乗り越える。希望の光を掴み取る。いろいろな優しい言葉があるけれども、そのような言葉をどのような場面で学ぶ機会を与えられるのか。仮に、宝くじで高額当選した瞬間に、そんな言葉を投げかけてしまったのであれば、そのように言われた人を「破産」の道や、それ以上、悲惨な末路へ突き落としてしまいかねない。逆に言えば、アインシュタインの「相対性理論」と「複利効果」を解説しながら、現状に脱却したいのなら、このような素晴らしい考え方を参考にしてみるべきだと示唆できる人なら、その人は、大変素晴らし言葉の遣い手であると言えよう。

3ヶ月以上続いているブログ更新。これから、もっと誰かの生き方を支えられるような文章を目指していきたいと思っている。

-思考力