思考力

2種の盾

昨晩は、久しぶりにアルコールを口にして眠ったからであろうか、早朝覚醒をしてしまった。午前4時。最近、世界的に禁酒の動きが出てきているので、あと10年もすれば、酒はタバコと同じように規制がかかるはず。私も、その辺は理解すべきだ。とはいえ、嗜む程度、やめようと思えばいつでもやめられる。ただ、いまだに辞められぬ依存症的な対象があり、今日、その強烈な依存症の次女グループのミーティングに行く予定である。何の依存かまでは、なかなか複雑なことになるので、このブログで詳細を書くことは控えようと思う。

依存症の多くは、多額のお金を費やすものがほとんどであり、やはり私も、現在とても苦しい状態に陥っていることは確かである。でも、仮に資金が青天井であったとしても、間違いなく人間としてのノー味噌はダラダラと溶け、このような意識を高くするためのブログなど書けやしない。そう考えると、今日の自助グループの会に行くことは、とても楽しみなことである。果たして、私の嗜癖を直す契機になるのか大いに関心がある。

そんな状態で、お金に困っているのは事実であるが、今まさに私を救い出そうとしていることがある。それはまさしく書き積み上げた、このブログである。ブログからの収益により、私の生活費が潤い始めているのだ。先月は多少の生活費、今月は家賃、来月の予定は自分の本業としている雇用関係にある塾の収入を上回ることとなるはずだ。苦節一年三ヶ月以上。収益に関しては、何の跳ね返りはなかったものの、一度車輪がレールに噛み合えば、一気に加速することを知った。

私は、千葉に来て2年ほど努めた塾で、勝手に異動を言い渡されたときに、「自分の身を守りたいのであれば、〜をした方がいい」というアドバイスのようなものを言われた。もちろん、「〜」に関しては、十分すぎるほど遂行している業務であったのだが、「すでにやっている業務をやっていると、本部には言い張ったほうがいい」という、全く意味不明なことを助言されたのだった。これ以上、詳しいことを書くつもりはないが、それ以来、「自分の身を守る」という表現が大嫌いになったのだ。教育とは、自分の身を投げ打ってでも、教え子に誠実にいるべきだと思っているから。

ただ、今回、私の生活苦から、私の身を守りつつあるのは、他ならぬ自分の書いたブログの文章であり、これが自分の身を守るということなのであろうか。いや、今回のケースは全く違う。自分を高めるために書き続けていた見返りを期待しない文章たちが、私を救ってくれたのだ。誰に命令されるわけでもなく、真摯に文章作成に取り組みつつ、それを高く評価してくれる仕組みが、私を見守ってくれているのである。イチャモンをつけられたことで身を守ったということとは訳が違う。自分の身を案じて書いていたわけでもない。文章は、見返りを求めないところで私を救ったのである。

継続は力なり。様々なブロガーが、口を揃えていう言葉である。ブログで収益が出るには、少なくとも、半年から一年以上はかかるというが、まさに私はブログという空中ブランコで、一気に次のステージへ飛んでいこうとしている。あとは、私の中での「自分を守る」という意識を高めていきたいと思っている。

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