思考力

静寂な川の深さ

私の人生にとって、「大学受験」という通過点は、人生のターニングポイントとなった。本来、大学受験を終えたら、大学4年間の自由な生活の中、自分の適性を見極め、将来の職業を煮詰めていき、就職活動を経てから、それぞれの職業に就くのが一般的だ。ただ、私の場合、第一志望で入学した高校生活が、1ヶ月後のゴールデンウィークを過ぎる手前の段階で、拒否反応を示し、そのまま3年間耐え耐え続け、放り出されるような形で卒業を迎えた。現役で受かった大学を蹴ってまで、浪人という選択肢を取ったのは、高校の授業とは正反対の素晴らしい授業が繰り広げられていたからであり、このような授業を1年間継続して受講できれば、高校で3年間眠っていた自分の才能を、再び引き出せるチャンスを得られると思ったからだ。

Man pulling the curtain up to a new colorful world. Power to make a change for the better

もし、現役で受かった大学に入学し、そのまま4年間を過ごしたと仮定して、今の自分の生活と比較することが、しばしばある。講師生活を長く続けていた私にとって、人生の窮地に立たされたときや、奈落の底に落とされたときにはいつでも、ストレートで大学に入学し、当時のいわゆる「安定ルート」を選んでおけば良かったと後悔することも多い。

高校3年生の時であったか、高校の同級生が父から言われたセリフとして、「大学4年間は、借金してでも遊べ」と助言されるほど、当時の大学4年間は「天国のフリータイム」であり、就職した先の企業は「地獄の世界」の始まりであった。30代前半だったか、先の友人をFacebookで見つけた。彼には子供がいて、多くの繋がりを示す「友だち」がいた。私と同じくらい高校生活を嫌悪していた彼にとって、「地獄の高校3年間」は、一種の熱病のような悪夢であり、「喉元過ぎれば〜」という言葉通り、楽しい大学生活を過ごし、ごく一般的な人生を歩んだということになるのかもしれない。

私は、2年間の浪人生活を過ごし、10代後半の貴重な時間を「受験」に費やした。ことごとく大学に落ち、全滅した後に、かろうじて願書を受け付けてくれた大学に、滑り込むような形で入学。そこから「受験勉強」を教えるバイトを始めた。大学生でありながら、大学受験予備校に通って、自分の授業スキルをアップさせようというのは、極めてレアなケースだ。そもそも、普通の学生バイトのほとんどは、自分の授業が円滑に進まないことに気づき、すぐに他の職種に移行していく。私は、それに逆行するかの如く、受験業界へとのめり込んでいった。

ここから先は、自分語りのブログになってしまうので、話の論点を変えよう。結局のところ、人生を面白くするのも、つまらなくするのも「自分次第」であり、人生が豊にならない原因は、全て自分にある。環境が悪いのなら、さっさと見切りをつけ、別の環境へ飛び込み、付き合っている人が「つまらない」のであれば、その原因であっても「自分」の中にある。人生の中で、マイナスの感情しか湧き上がらない世界なのであれば、いっそのこと全てを断ち切り、新しい糸を見つけ、今まで繋いできた糸に結び直してあげれば良い。釣りの仕掛けは、結ぶのが難しい割には、瞬間的に風に煽られただけで、収集がつかなくなってしまうことがよくある。そんな時は、一回全ての仕掛けを切り、初めから亜tらしい仕掛けを作り直した方が、明らかに効率的な場合が多々ある。

feet of unrecognizable person standing on street with chalk text on asphalt - leaving comfort zone concept

振り返れば、あそこまで嫌悪していた高校生活ならば、どこかで切っていれば良かったはず。でも、今、英語講師として存在する自分は、たとえ第一志望でなくても、2年間浪人し、10代後半の貴重な時間に、素晴らしい講師たちの授業を多く受けられて、とても良かったと思っている。「逃げ遅れる」ことは危険だが、危機の中に楽しみを見出し、じっと「サイレントピリオド」を耐え凌ぐことも重要。人生の舵きりは難しい。ただ、その切り出しのタイミングが正しいか否かは、後から分かること。後悔しない人生の航路を進むためには、あくまでも「原因自分論」を前提に、周囲のめんどくさいドリームキラーを無視し、選んだ選択肢を力の限り集中して努力を継続することが大切なのだ。それでも価値を感じないような世界だったら、別の世界を探すべきだ。

The cat in a red cap and sneakers with a bag is holding a poster that says " Step out of your comfort zone ". White background. Isolated.

何かの分野で頂点に君臨している人は、順風満帆に見えて、幾分かの自由を犠牲にし、それぞれの活躍している人生ステージ上にいるわけだ。例えば、美しいバイオリンの音色の中に、自分語りを入れることはできないが、音調の中に、自分の人生の経験や軌跡を乗せることができるのかもしれない。私は、音楽の専門家ではないから、詳しいことは言及できない。一方で、20年以上の講師生活の中で、その教室にいる教え子全員の目を輝かせられたときに、私は、自分の人生のことを語らずとも、私の言葉のどこかに重みがあるのだと実感する。語らずとも伝わるのが、職人の巧の技であり、必要以上の自分語りは、かえって胡散臭い後付けにしかならない。

この1年間の自由な時間で、多くのことを考え直すことができた。経済的に苦労しないためには、闇雲に働くことではなく、正しい金融リテラシーこそが強い味方の源になることや、手取りがない中でも、様々なインフルエンサーの動画から貴重な情報を多く手に入れられた。今は、全く影響力のない私のブログやSNSであっても、今は「サイレントピリオド」であり、登録者数やフォロワーなどは、小手先のテクニックではない、地味な努力から生まれる「指数関数」的な伸び方をするのだと強く信じている。

コロナが収束の方向へ向かい、時代が大きく変化していく。そのような中で、自分がいかに変化していくかが重要な鍵を握っているのであり、そのような時代の変遷期に、現在の自分を見た未来の自分が、いかに納得してくれるかを考えられる「余裕」が必要なのではないだろうか。私も、自分なりのオリジナリティーを出せるように、いろいろな企画をし、ボツになったプロジェクトもたくさんある。でも、そのような失敗の中であっても、時に大きな変化を加え、日々、マイナーチェンジを繰り返すようにしてきた。

「人生100年時代」なのであれば、私の寿命は半分も経過していない。そして、肉体が消滅したとしても、私の教え子が、私のDNAを受け継ぎ、それを語り継いでいってくれるような人材を目指して生きていこうと思う。

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