思考力

見栄の塊のパートナーシップ

 

なかなか、自分の中で落ち着かない気持ちが続き、常時、何かに背中を押されているような気持ちだ。久しぶりに、眠剤を飲まなくても眠りにつけるほど、身体も疲労困憊の状態。自分のことを大事にし過ぎていたのだろうか。最近は、何かに対して感動するような気持ちすら芽生えてこなかった。人生を、時系列に沿って考えたときに、いつだって「常識人間」だけにはなりたくないと思っていた。

若い頃から、人生を楽しく過ごすためには、自分が目立つことができるようなストーリーを設定しつつ、エキセントリックな人間でいなければならないと思い込んでいた。ノーマルな人生で得られることなど少なく、いい意味でアブノーマルな経験を積んでこそ、意義のある人生だと思っていた。すると、何やら自分の人生を、他人が羨ましく思うような方向へ向かわせようとする気持ちばかりが先行してしまい、人生を楽しく過ごすコツは、他人の目に写る自分が、羨望されて尊敬される状態でなければならないという固定概念が固まってしまったような気がする。

それでいて、他人の審判はどうだったかといえば、結局のところ、他人には他人の人生があり、私の「それ」とは、全く関係のないところで動いていることを理解した結果、わざわざ自分に対して興味を持っている暇などないことに気づいた。モテないことは恥ずかいしいことであると思い込み、誰もが羨むような彼女を抱いていることを吹聴すれば、一時的には、それで満足だったのかもしれない。優秀な歯医者を捜すのは、なかなか困難なことではあるが、自分と相性の良いパートナーを見つけるためには、ルックスだけに気を取られて、無理やり付き合おうとすることは避けなければならなかった。

将来の自分に良い影響を与えてくれるようなパートナーというのは、他人に見せびらかすための「外見」だけを、見せびらかす気持ちなどとは、切り離して考えなければならない。また、人工知能が、自分にふさわしいパートナーを、捜してくれるわけでもない。相手に好きになってもらったり、相手を好きになtたりするという、ある意味では、人生における最も素晴らしい状態で、絶対的な法則など存在するわけなどない。自分の中の見栄を捨て、付き合うと絶対に不利益を被るような相手との交際を避ける。そのためには、付き合うべき人と、そうでない人との見分ける尺度を得るための経験を積む。そのためには、これまた良い意味で、いろいろな人と付き合うべきだったのだ。

「4%ルール」で、人生を経済的ストレスなく過ごしていける「FIRE」を達成した人も多くなっているようだ。そこに「見栄」という感情は、もはや無くなっており、自分と真摯に向き合うことで、誰に勝つわけでもない、自分こそが最大のライバルであることを知っている。「見栄」を捨てるということは、とても難しいことであるが、「見栄」というのは、恐ろしいほど人生に悪影響を与えることだってある。やはり、自分なりの尺度を持ち、自分の中で、納得できる人生を送れるような人間関係を構築していきたいものだ。

 

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