思考力

見つめるべき地点は、真に“fusion”できる世界だ

補講授業をするにあたって

この講座は、英文法の成り立ちを、「基礎の基礎」から学んでいく講座になります。易しい問題を解くことを、基礎と考えている人が多いのですが、それは大きな誤解です。物事の本質を見抜く為に必要な基盤を整えるための下地を作り上げる大事な時期こそが、本当の「基礎」だと私はおもっています。 一見すると回り道のように感じることであっても、着実に一歩一歩を進めていくうちに、成長する実感が湧きあがり、それは大きな自信となって、必ず自分の心の中に沁み渡ります。逆に、安易な妥協は、生き方そのものを腐らせます。

私の人生の師の一人である先生が、「人生苦しい時が登り坂」と常に私に教え続けてくださいました。師は、決して誤魔化すことなく、真に文章を読むことや、書くことを、私に教え続けてくださいました。筆者の思いや、考えに学ぶことこそが、真の学問の入り口につながっていると教えてくださいました。師の教えを受け入れることは、簡単なようで、とても難しいことです。胡散臭いテクニック、短期間で一気に成果が出るような誇大広告。そのような罠に誘われ、結果だけを追い求めるような、打算的で怠惰な姿勢では、何も身につきません。仮に、それで目標を達成したとしても、その先に続く道などたかが知れています。

また、私に、英文法の必要性と、矛盾なき英文法のルールを教えてくださった師もいます。その方も、本当の「基礎」の重要性を常に教えてくださいました。英語を英語のルールで考えることや、原理原則に基づいた一貫性のある授業に、心の底から魅了されました。首尾一貫した、師の教えは、今の私の授業スタンスに、大きな影響を与え続けています。

ふたりの師に共通していることは、「物事を論理的に考える力」を養成することを強く主張していることでした。「論理的」という言葉を聞くと、固い話に感じてしまうかも知れませんが、端的に言えば、ある物事を、「分ける」のか、「つなぐ」のか、を考えることです。「分ける」ことは、わかること。「つなぐ」ことは、テーマを追求することです。

もし、あなたが、今、「苦しい」と感じているのならば、それは受験生だからではありません。人としてより良い自分を目指しているときに、人は、「苦しい」と感じるのです。そのような中、私の授業を通して、「基礎」から真に学ぼうとしている、あなたの熱意を感じながら授業を進めていきます。

共に坂道を登っていきましょう。

この文章は、下位クラスから標準クラスに移籍して、新規担当の私の授業に慣れることができていない生徒や、英語の基礎を、再度考える必要がある生徒たちを対象にした「補講講座」で配布した、最初のプリントだ。英文法の最初の単元の易しい問題を多く解いて、「今から巻き返しを図れば、必ず間に合うから頑張ろう」というような付け焼き刃的な、傷口を軽く塞いで濁していくような講座にしたくなかった。あくまでも英語の規則性に気づき、そこを理解すれば、自らの力で、英文法を体系的に理解し、自力で文章を読み、解答を導き出せることに気付いてもらうために開設した講座だった。今までの効果の出ない学習方法が、各文法単元を項目ごとに、ぶつ切りに憶えようとしているのなら、それは大きな誤解だと言うことに、気付いて欲しかった。英語の規則性を無視することは、破滅のみちに突き進むことになる。毎年、英語力が向上し、これからも上昇し続けると期待できる人材は、最初、多少の不自然さに戸惑うことはあっても、時間をかけて、英語の規則性を受け入れ、多くの演習問題を解き、その都度、一貫した英語のルールを、自分で確認できるようになっている。このループができれば、間違いなく、その後の英語学習は、全て独学でできるようになる。

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街を歩いていて、いつまで経っても建築中の土地が、わずか一週間で、いきなり巨大な建築物となっていたようなことは、誰でも、どこかしらで経験があると思う。揺るぎない城を構築するためには、頑丈な基盤がないと成立しない。このことを、具体例として考えれば、基礎を固めるためには、ある一定の長い期間が必要であり、その上に応用的な技術を身につけるためには、予想以上の時間と労力が不可欠だ。これは、今までの人生で、大きな目標を達成したことのある方なら、大いに賛同してくれるはずだ。しかしながら、先述した、基礎を築き上げる際の「時間と労力」の考え方は、結果が出ずに、焦りが加わり始めることで、とても重要なのだけれども、軽視され、忘れ去られてしまう危険性が、非常に高い。語学学習に限らず、他教科の勉強であれ、スポーツ、仕事、事業を成し遂げるために必要なスキルを身につけるときにも、同じことが言える。

そこで、心に黒い影を持つニンゲンが、突如として出現する。結果が出ずに、心が折れている、その隙間を見事に突いてくる。そして、目標を定めて、純粋に努力をする決意をしていたはずの人に、ささやく言葉は、短期間で必ず結果が出ると言う、側から見たら根拠のかけらも無い、魔法のようなメッセージだ。それに、ふっと心が揺らいでしまう。冷静に考えれば、短期間で必ず結果が出るようなゴールは、真の目標ではない。難しいところにチャレンジして登り詰めていくことに意義がある。だから、自分自身が、前へ歩き始めたのではないか。特に、昨今のIT革命から、AIに仕事を奪われる危険性を、肌で感じ始めたところに、インターネットを経由して、容赦ない詐欺商法で、あっけなく騙されてしまうケースが後を絶たない。基礎の本質を、本当に理解できていないから、愚言を呑み込んで、虚偽のカンフル剤が覚めた頃には、誰も、何も残っていないどころか、初心を忘れていた自分に気づき、人生に対する自信までもが失われてしまう。

人間は、意思の弱い生き物だ。些細なことが気になりだすと、やらない口実を探し始める。やるキッカケを探すと言う選択肢は、どんどん消滅してしまう。ただ、「真理」は、変わらない。「右」と言う概念は、「左」がなければ成立しない。「自己」は、「他者」なしには成立しない。それと同様、確たる「基礎」を作り上げなければ、その上に何かを「創造」することはできない。そう考えたときに、「基礎が易しい」という言葉そのものが、虚言だと解る。私は、本当の基礎を構築するための「思考力」を育成できる場を創りたいとおもっている。

pastedGraphic_1.png自分を前進させられる、様々なゴール設定を自分でできるようにする

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