思考力

神様に頼る

安倍元首相の銃撃事件から、数週間経ち、この事件そのものではなく、宗教のあり方について考えさせられるような事件に発展した。私自信、信仰というものをもたぬが、私の大切な恩師が、クリスチャンであることからも、宗教そのものを批判したり、偏見の眼差しを送ることはない。ただ、一部の宗教では、献金やらお布施やらを、強制的に行う集団もあるので、その線引きをするのが難しい問題でもある。

私が高校を卒業した年の3月。地下鉄サリン事件という世にも奇怪な事件が世間を震撼させた。それはもう、大惨事としか言いようのない光景が、テレビの中で繰り広げられ、その中で、やはり宗教について考えさせられることが多くなった。これは、私だけではなく、国民全員の関心が、一斉に寄せられた事件であった。

神の存在を肯定し、それを信じ、自分の中にあるモヤモヤした何かを、神様に祈りを捧げることで見出す。そこには、何の罪もない。先述したとおり、自分の中だけにとどまらず、他の誰かを巻き添えにしてしまうことに、大きな問題がある。そして、マインドコントロールというのは、簡単には解けず、自分自身がおかしな方向へ進んでいっていることに気づかなくなり、元に戻れなくなる。その元そのものが見えなくなってしまうのだから大変である。

極論すると、人は必ず何かに依存しており、それが宗教的なことだけではなく、自分の心の中に抱いている神秘的なことなのかもしれない。だから、一概に誰かを否定することは避けなければならず、また、自分を客観視することを忘れてはならないのだ。

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