思考力

比率に意識を向ける

今朝は、天候からだけ考えると、あまり気持ちの良い朝のスタートとは言えない。ただ、コアラマットレスの上で、初めて6時間程度眠ることができた。いつもは、3時間程度で目が覚めてしまうので、コアラに「包まれ慣れ」してきたのかもしれない。コアラマットレスの多額の出費に気を緩め、多少の黒字に甘えているのか、最近は「買い物依存症」の傾向が出てきており、毎日、リサイクルショップで何を買おうか迷っている。この「何か」が、生活に役立つアイテムならば良いのだが、こと「衣類」となるとタチが悪い。友達がいないので、別に量販店の安価な服でも構わないのだが、やはりファッションに関してのこだわりを捨てるのは難しいようだ。

名著『金持ち父さん 貧乏父さん』でいえば、前者の方へ傾きつつある。とりあえず自覚症状がある間は、レジへ品物を持っていくときに、「見栄」「欲望」「執着」などの「煩悩」に支配されていないかを意識する。だから、品定めするときには、「ダサい」「既にある」「不要」などの「ツッコミ」を入れるようにしている。すると、何も買わずに店を出ることがほとんど。リサイクルショップでの買い物だけに絞っており、宝探し的要素を楽しんでいるので、スタッフが不用意に話しかけてくる心配もない。だから、マーケティング戦略一種の「お情け買い」をすることもない。

ただ、自分の自制心を押さえ込み、意識的に「メルカリ」を凝視しない習慣を身につけていたはずだが、相手はフリマアプリの大御所であり、あれやこれやで自分の物欲を刺激する。AIによって自動的にオススメされた商品は、「お情け買い」にはならない魅力を放つ。人工知能を駆使した強烈な力が作用し、自分の欲望を刺激された「情けなくなる買い」をすることにつながってしまう。たとえ、断腸の思いで何も買わずにアプリを閉じても、知らぬ間に「時間」という貴重な資産を奪われていたことに気づく。

車に関しては、「前を向いて走れば良い」という考えで自己洗脳しつつも、やはり旧車とすれ違うと目が釘付けになってしまう。今や、若い女性であってもマスクをしているので、美人かどうかの品定めをする必要もなくなっているので、ますます旧車に乗りたいという欲望が湧いてきてしまう。旧車のオーナーからしてみれば、私の熱い眼差しは、最高の栄誉だとも言えよう。まんまと、持ち主の所有優越感を満たしてしまっている。

そんなわけで、欲望に支配されつつある私の昨晩の過ごし方は、「ひろゆき」氏の「切り抜き動画」を拝聴しつつ、メルカリでの品定めをするというマルチタスク。人間が最も不得手とする行動だ。案の定、ひろゆき氏の話が頭をかすめる程度になっている状態で、ひろゆき氏が猛烈に批判するような「ボロ切れ」のようなビンテージジーンズなどの閲覧をし、見事にデニムキャップとセットで販売されていたジーンズをポチっていた。ただ、出品して1時間程度で閲覧数が「2000」を超えるアイテムだったので、ひろゆき氏が批判するような「2000人の欲」を出し抜いて商品をゲットできたのである。

桁を間違えて出品したとしか思えないデニムキャップとジーパンの価格は、「6000円」。量販店でもなかなか出せない金額ではないだろうか。それゆえ、出品直後にもかかわらず、一気に閲覧数が爆上がりしたのだと思う。物の価値が分かっていつつ、値引き交渉などをして、買い時を渋っていれば、大きなチャンスを取りこぼす。昨晩のメルカリでの買い物は、完全に「短期トレード」の株の取引のようだった。まさに、時間との闘い。また、出品者が「桁」を間違えていたとしたら、そこにはチャンスしかない。ここで勇気を出して前に出られるかが、大きくリターンを得られるかに関わってくる。

株式でいえば、短時間の判断で、配当金を再投資するか、増配成長株に投資するか、はたまたインデックスファンドで長期投資を続けるかなど、ケースバイケースで素早く考えなければならないときなのに、大きく失敗しないよう身構えてチャンスを取りこぼしてしまう。また、大きな利益を得る為には、自分の意思に基づいて、日頃から市場をチェックすることと、自分が主体的になって価値を見定める能力が欠かせない。専門家の有難い意見を傾聴しているだけで、実行に移さない人が多くいる。自己啓発本を読むだけで、行動することに二の足を踏んでいる状態であれば、決して結果が出ることはない。また、食べるだけで集中力が上がる食べ物の知識を得ても、コンビニ商品をドカ食いしてては、身も蓋もないのと同じく、知識を得ても、行動を変えなくてはダメだ。

集中力を上げる為にJazzやピアノの音楽を流す。極端な話、このようなBGMの聞き流しに関しても、自分の目的となる作業をしていなければ、意味をなさないとも言える。極論だといえばそれまでだが、ホテルのラウンジで流れているJazzに耳を傾けるのであれ、潜在的にはリラックスを求めているのだとも言える。このように考えれば、「アグラ」をかいて待つだけのような生き方ではなく、常に「能動的」に「意識的」に行動を起こすべきだ。インプットとアウトプットの割合は、「80:20」が理想だと言われている。ユダヤの法則であっても「78:22」が最も理想的な比率だと考えられている。もちろん「78」がアウトプットで、「22」がインプットと考えるべき。

今、新型コロナウィルスに対するワクチン接種が、急ピッチで進められている。ただ、ごく稀に起こる「副反応」に敏感になり、接種に反対する人も僅かながら存在しているのも事実。これに関しては、個人の価値観だと言えるので、強制的に変えることはできないのかもしれないが、その反対意見を持つ人がワクチンを接種しないことで感染してしまい、そこから感染症が広がっていくことも考えられる。馬を水辺に連れて行けても、馬に水を強制的に飲ませることはできない。やはり、接種を希望しない人に無理矢理接種させたら、後に本人の幸せに繋がるはずのことであっても「NG行為」となるのだろう。ただ、私個人は一刻も早く、2回ワクチンを接種することを希望している。

人間は、自らの意思に関わらずに生まれ、意に反して死んでいく悲しい存在。「言葉」を持つ運命になった生き物である人間は、他の生物と違い、「死」という一種の「概念」に強く縛られることになった。すると、死に対する恐怖を克服する為に、人間同士が自分なりの価値観を持つことになる。そこに相違が生まれ、宗教や哲学が始まり、最悪の場合には「殺し合い」に発展することだってある。意に反して死んでいく個人を、意図的に「死」へ突き落とすというのは、これ以上の罪はないと考えられる。だから、殺人には重い罰則の「死刑」が課されることがほとんどだが、この刑であっても、執行を受ける者の意思に関わらず行われる極刑だ。

自分の意のままに他人を操れば、先述したような悲惨なループが連鎖的に生じるわけであり、そこに極度の緊張と恐れを感じた者は、進んで「孤独」を選ぼうとする。孤独である限り、誰かを極端に憎む必要がなくなるが、人は一人では決して生きていけないことも事実。これ以上考えを突き詰めてしまえば、やっと晴れ間が出てきた小鳥のさえずりが聞こえてきた朝に、暗闇に沈み込むような自傷行為的なイデオロギーを考えなくてはならなくなるので止めておく。もしかすると、ブログ音声動画をアップするときに、深掘りするかもしれない。

今日のブログは、人間の潜在的な7つの意識を活性化させる“チャクラ”をBGMにして書いていたので、最後の方は、自分の哲学のような結論に落ち着いてしまった。では、朝にオーラを整えたので、少しドライブでもして、公園の駐車場で居眠りでもしたら、夜のオンライン授業の準備に入ろう。

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