思考力

歪んだまま

ふとしたことで、DVを受けていた友人の女性のことを思い出した。殴られ蹴られ、腫れ上がった顔の親への言い訳は、顔にボールがぶつかったと言うだけ。他愛のない日常生活で、何回ボールが偶然にぶつかるだろうか。性行為が終わった後に、ほとんど裸体のまま外へ放り出され、電柱の影に隠れて見知らぬ通行人に服を買ってきてもらう。襲われたとだけ言いつつも、警察への通報を拒む。やがて、ここでは具体的にはかけないような辱めを受け、最終的には避妊をしないままの性行為で、妊娠したかもしれないと言っていた。

数年ぶりに会って、それから今まで会っていない友人だが、今頃どうしているのかは、やはり気になる。そう考えると、自分もわかっていながら放置しただけの悪い人間に分類されてしまうのだろうか。一番印象的だったのは、そのような行為に晒されながら、どうしてわざわざ会いにいくのかと聞くと、好きだからと言う答え。これは、完全に悪い宗教の洗脳に近い。仮に、人を刺せと言われたら、その通りにしてしまうのではないだろうか。日々のニュースの悪質なものは、どこかしら、このような悪い認知の歪みが絡んでいるに違いない。

今朝も、長い睡眠だった。何も予定がない自分としては、とてもありがたい。寒さで凍ってしまうような気温の中、なかなか外出はできない。まして、タテ社会丸出しの企業に働きに行くなど考えられない。とはいえ、私の生活費はカツカツの状態で、昨日、とうとう所持金は数百円になってしまった。もちろん、社会のお荷物であるだけで、社会悪にはなっていないはずだから、多少は大目に見てもらいたいものだ。自宅警備員なんていう言葉もあるが、一人暮らしでアパートに引きこもっていると、ただただ過去の嫌な思い出ばかりが蘇ってくる。それだけは避けられないが、、それだけは仕方がないとも言える。孤独の代償だ。

Twitterを眺めていると、障害者で絵画アーティストの方がいた。なんでも、私の東京の故郷で4月に展示会を行うそうだ。これは、とても楽しみ。Twitterで映された絵は、とても素人とは思えないほどの出来映え。自分も絵を描いていたが、最近では1日坊主で書かなくなってしまった。家の裏には、美術館があるというのに、結局利用したのは数回程度か。それでも、自分と誰かとの接点のようなものは欲しかった。自分の中に自分を隠した状態ではなく、自分の中にいる自分を絵画という形で表現している人の作品というのは、とても興味がある。ぜひとも、4月の展示会まで元気でいたいものだ。

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