思考力

時の母胎に眠る可能性

 

自分の中で自分が迷子にな離、行方不明になる。何やら、哲学的というか、心理学的というか、文学的比喩から思い浮かんだフレーズで、なかなか悪くはないと思った。ただ、この表現は、もちろんプラスの意味を含有しているわけではなく、自己の存在や、自分の本能を理性で抑えられていないことを、抽象的に表したものである。こんな秋の夜長で、鈴虫が鳴く音が響く。ひんやりとした空気が外で漂い、部屋に秋の雰囲気を感じ取れる。ただ、今宵は、気持ちばかりがなぜか急かされるようで、なかなか眠れず、2時間程度で起きてしまった。

就寝寺に聞きながら眠る音楽であれ、鈴虫の鳴く音であれ、ましてや、朝のボサノヴァやジャズの音であれ、躁鬱混合状態の今の自分にとって、自分の生活リズムの中心となる「睡眠」の改革案は、そうそうシンプルに決議案が出るわけでもないようだ。自民党総裁選の4候補が、それぞれの意見を出し、討論して出た答えがあったとしても、私は、自分自身と、自分の主治医くらいとしか討論できない。ロシアでも与党の3分の2の議席を確保する動きがあるが、私の睡眠問題に協力してくれる人の数は、相変わらず少ないものだ。

そのような観点で考えると、やはり「受験」という枠組みの中で、優劣や合格不合格がハッキリと決まってしまう勉強など、本当の勉強とは言えず、問題文のどこかに必ず答えの根拠があり、その部分にエラーがあったかどうかを確認することは、極端な話、「作業」と成り下がってしまうのかもしれない。「どこよりも詳しい」とか、「分かる解放のテク」などのタイトルの参考書・問題集に、YouTubeのサムネイル。もちろん、そのような媒体を通して受験勉強に励むことは、全く悪いことではない。しかしながら、受験が終わって、そこで勉強が終了してしまうような学習態度なのであれば、そこから先は、非常に薄っぺらい人生しか待っておらず、成長するチャンスなど期待する余地など全くない。

入試問題を解き、その文化的背景知識を知って、大学での勉強に力を入れようという気持ちを奮い立たせられる者。英単語ひとつとってみても、ある基本動詞をイメージで捉えたり、何気なく使っていた単語を図解することで、知識の枝葉を拡大させられれば、その論理的思考力というのは、ますます広く強固たる基盤をつくる。そのような興味関心を得られるために、入学前の試験というのは存在するのである。確実なことは、就職の切符を手にするためだけに入試をクリアしたり、打算的な考えで卒業するような意識や態度は、絶対に慎まなければならないということだ。

もはや都市伝説とも言えぬような科学的データから、いつ起こってもおかしくは無い「大地震」。新型コロナウィルスという、未知なる病原菌との闘い。そして、歴史を紐解いてみれば、疫病と自然災害の同時性というのは、ピッタリと一致しているのだ。コロナの新規感染者数が増減していることを見ているだけなのであれば、それは、マスコミが煽り立てているコロナの脅威を表面的になぞっているだけ。巨大地震を、過去の事件としてだけ知識としてインプットしているだけなのであれば、先述したように、受験が終わったら、その先の人生で続くことのない、一過性の熱病のような「暗記作業」で終わってしまうのだ。

優秀な人材を捜し求めている集団がいるとして、非凡な人材が、隠れた穴に埋もれていたとする。そして、実際に、そんな優秀な人材が自分であったのであれば、胸を張って、レベルの高いポジションに就けば良い。例え、その場限りの刹那的な態度でしか生きられていなかった人に揶揄されたとしても、回ってきた大きなチャンスを逃すべきではないのだ。常に思考を整理し、余計な雑念を断捨離すること。そうすることによって、時の母体の中に眠っている、これからの自分の可能性を遺憾なく発揮できるチャンスを得られる。

経済的貧困を引っこ抜いた状態で言わせてもらえるのであれば、今、私が過ごしている毎日は、胸を張って幸せに満ち溢れると言える。そして、そのような環境と状況を手に入れられたのは、他でもない、自分自身が弛まぬ勉強を積み重ねた結果であると心底思っているのだ。

 

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