思考力

捻れた時間のズレ

フライングブログというか、何と言うか。最近は、ブログ熱が冷めたわけでは決してないのだけれど、自分の中で、悪い嗜癖が復活してしまい、頭の中に、”7”が3つ揃うと、とんでもない量の快楽報酬が、脳の中で垂れ流しになり、生活の中で必要な情報などは、全てそちらに吸収されてしまうかのようだ。今日は、帰宅するのが早かったのだが、明日、とうとう新しい塾での初出勤となり、その準備やスケジューリングにと、いろいろと神経を集中しなければならないと思ったので、早めに帰路についた訳だ。

こう考えると、やはり、”7”を揃えて稼ごうなどという愚かな考えにすがるのではなく、あくまでも、自分の実力で掴み取った報酬で、脳内の報酬快楽物質を噴出させた方が良さそうだ。いや、間違いなく、そちらの方が良い。早いもので、明日から6月になるのだが、私の中で、今年度が始まった、直近の2ヶ月間で、大きく自分の生活と思考方向が変化した。そもそも、一年前は「ナマポ」の状態へ突入したのであり、人生で一番金がない状態でもあった。そこから這い上がるために、一時は命すら落としそうになったり、20円のチョコを買えないほどの極貧状態を経験した。しかしながら、こんな状態であっても、生きることそのものを諦めなければ、必ず自分の人生というのは開けていくものなのだということを経験できた。

明日からの人生は、どのようになっているのだろうか。「どのようになる」ではなく「どのようになっている」という表現。つまり、未来の自分の前に敷かれた道というのは、もう既に決まっていて、それを時間というエンジンで背中を押されているのではないかという着地点に、今の自分の考えは落ち着いている。これは、どこかの宗教的な考え方でもあるのかもしれないが、私には、固定された宗教というものの信仰はないが、自分の中で曲げてはならない「信念」のようなものは、大切にしていかなければならないと思っている。ただ、この信念というのが、ただ、耳の伝わり方が綺麗なだけで、実際の自分の行動に反映されているかと言われれば、はたはた疑問が残るのである。

自分の前に広がっている道。その人生という名の道と、時間の連続。おいていく自分の肉体と、痩せ細っていく活力。ただ、この点に関してであれ、自分の考え方次第で、十分にプラスになることだってあるわけで、自分が今まで積み上げてきた経験を、これからの人生のフォーメーションの中でリンクさせることができさえすれば、必ず自分の方向へは、ポジティブな状態で還ってくることは確かだ。「今」の自分にとって。「今」、中年という時期に入り。自分とは何かを考えることそのものに疑念を持つ。果たして、自分の「今」の思考方向や思考法というのは、ひねくれているのだろうか。それは、まだ、ぼんやりとしていて、つかめてはいないのだ。

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