思考力

宿の中

もう、寒い寒いと書いていても、いつものことなので書いても仕方がない。ただ、先日変更した薬の効きが長く、陽の入り前に服用して、今は、快晴の青空の光が窓から注いでいる。とても良い天気だ。ただ、それは私が住んでいる外房が、少しだけレアなだけのようで、日本列島の多くの場所では、積雪の場所が多く、見事なホワイトクリスマス。ただ、積雪の量が多過ぎて、クリスマスといえど、少々危険のようだ。窓から、チラチラと雪が待っている様子を拝める程度の量が、日本のクリスマスでは望まれる景色を創り出すのかもしれない。

私は、いつも通りの「ヤドカリ生活」を送ることになるので、クリスマスと週末が重なるようなイベントデーは、ひどく厄介である。アパートの駐車場には、いつもは仕事で出払っている車が多く停まっているのかと思いきや、いつも通り、車はない。仕事でない日も、朝早くからどこかへ行く。今の私には、考えられない。会社員だった頃は、ゆっくり起きて、次の授業に配布するプリントのストックを大量に作り、週の途中で体力が尽きても配れるようにしていた。こんなふうに、自らを窮地に立たせて自滅するというパターンが、40過ぎても続いていたのだから、ある意味では、夢中になれる天職を見つけられたということにはなる。

ただ、やはり年齢制限や履歴書にボコボコと穴が開いている状態で雇ってくれる会社はなく、今のヤドカリ生活を余儀なくされている。最近では、サラ金の督促の電話もまたかかってきているので、あまり良い年末とはいえない。そもそも今年は、お金というお金が消え去り、思いもよらぬ単独事故で生死を彷徨ったわけだから、決していい年とは言えない。やはり、こんな状態のヤドカリから年賀状を受け取りたい人も珍しいから、今年は出さないでおこうか。早速、言い訳の始まりだ。

家にいたところで、やることなど無く、YouTubeからネット検索、Twitterの順番でクルクルする程度。側から見たら、とんでもなく怠惰な中年男としか映らないだろうが、私としては、心身を癒すための「冬眠」だと思っている。冬眠だろうが、怠けているだろうが、私を侮蔑する人間に対して反論するなどというココロのエネルギーの無駄をするつもりはない。ただでさえ過去に執着している私は、心のガソリンのエコをしていなければ潰れてしまう。そもそも、こんなご時世で、誰かを避難するような奴は、ろくな人生を歩んでいないはずなのだ。

この記事は、とりたてて上手い結論に結びついたわけではないが、朝のブログを書きながらのコーヒーは、やはり格別だ。こんなところに日々のささやかな喜びがあってもいいと思う。幸せに定義などない。喜びも人それぞれ。だったら、各々の生き方にだって誇るべき部分は必ずある。何も、ホワイトクリスマスに大パーティーをして仲間とワイワイするばかりではなく、ひっそりと家で過ごしながらブログを書くことに熱中する幸せだって必ずあるのだ。

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