思考力

変われタイヤキくん

 

このブログの1文字目を打ち込もうとしたら、セミの鳴き声が耳に入ってきた。ちゃんと意識していれば、すでに何度か耳にしていたのかもしれないが、最近の私の「ギア」の入り方は異常だったので、こうやってセミの音を意識できるようになったことは、心にブレーキがかかり、落ち着きを取り戻せたのだということになるのかもしれない。とりあえず、安心している。昨日、釣り上げた魚の頭がゴミ箱に入っていて、異臭を放っている状態。ただ、ゴミ捨てに行くには遅い時間に目覚めてしまったが、長く眠れたことに感謝した方が良さそうだ。ギアが入っていた時には、このまま一生眠れないのではないかという「錯覚」に陥るほど覚醒していた。

久しぶりに長く眠った後の目覚めゆえに、私のYouTubeのオススメ動画も、少し寝ぼけているのか、”秋のLove bossa”が表示されていた。今は、セミが鳴き始める初夏の猛暑日であり、センチメンタルな秋風の中で、淡い恋の始まりの渦中にいるわけでもない。先日、ウワサの「マッチングアプリ」に無駄な課金をし、誰とも会えずじまいだったが、仮に会えたとして、昨日までのエネルギッシュな状態であれば、気前よく豪華なレストランで「食べ放題」を振る舞っていたのかもしれない。昨日釣れたコノシロとサバに、安いコマセを食べ放題させて、それを「食った」という状態で幕を閉じたのだから、安上がりな躁状態を過ごしたのだと認知しておこう。

世界から、一歩一歩、また一歩と遅れをとっている“NIPPON”という国。諸外国がNIPPONを見下しているような態度をとっていても、首相は「一貫した立場」で、世界との意思疎通を図るという姿勢。意思というより、この猛暑の中で動くのが億劫なだけなのかもしれない。兵庫県知事には、私より若い人が当選し、前任の老害だった知事の風穴が、若い人で刷新されるかどうかは、これからの結果を見るしかない。少なくとも、老害知事よりマシなことはやってくれるはずだ。首相にせよ、県知事にせよ、とりあえず姿勢を動かそうという「思考の体力」くらいは残して置いて貰わねばならない。

コロナ発症国が意図的にバラ撒いたのかは脇に置いておくとして、コロナの変異が恐ろしいほど早いことは事実。コロナ規制がほぼ撤回された英国ロンドンでは、マスクなしでナイトクラブで踊り明かしているうちに、1日の新規感染者が5万人規模で推移している。結局、マスク生活に戻るというグルリと一周を余儀なくすることを強制しなければならない、デルタ株の脅威。コレ、いつまで続くのだろう。先程の細菌発祥の地である国が、今度は「サイバー攻撃」をしていると非難しているアメリカであっても、同じようにサイバー攻撃していた感じだったし、どっちもどっちという状態。

そんなアメリカ人の生き方に見習って、“FIRE”を目指してミニマリストな生活を、日本でしていても、なかなか落ち着いた空間を作ることはできなさそうだ。国家が変われば、法律も変わるわけで、左ハンドル・左側車線のアメリカの法律を、そのままNIPPONで適用させれば合法かといえば、真逆の大惨事となる。ただ、自分の思考の中の価値基準というのは、確実に持っていなければ、自分の思考回路そのものを、知らぬ間に誰かに支配されてしまうことは確実で、ある程度は、他人と自分を分けて考えを導き出すという気構えを持っておかねばならない。そうしなければ、何か大きなものに従属するだけの生き方となり、自分の意思そのものが歪められていることにさえ気づかなくなってしまう。

昨日、ある会社と面談をしていたのだが、やはり、これからの新しい教育のスタイルを刷新しようと考えている「幹の部分」は共通していた。ただ、多少、私の考えと相違がある部分もあった。つまり、同じ考えであったとしても、そこに完全に一致した「たい焼きの型」のようなモノは存在せず、微妙に相違している部分から、自分の考えを客観的に考え直すという姿勢を学ぶべきである。そのように、常に考え方をアップデートすることで、この驚異的な勢いで変化している現代社会のニーズにマッチした生き方を追求することができるのだと思う。

 

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