思考力

回転扉

年明けから、3月末まで、予定らしい予定がなかったことが分かる。手帳がスカスカなのだ。ただ、最近の手帳は、三色ボールペンに、マーカー、速記したのが丸分かりな煩雑な文字で、びっしりと埋まっている。まるで、予備校バブルの時のカリスマ先生の芸術的板書を写したノートのようだ。もし、私が現役女子高生であれば、この複雑かつ汚らしいメモ帳のような手帳を、改めてキレイなカワイイ手帳に書き直すことだろう。ただ、学習という側面では、その書写しというのは、ただの自己満足の作業だから、まったくもって推奨してはいない。

ここのところ、仕事運と金銭運が上がり、人脈などが一気に広がった。それが功を奏して、オーバーブッキングをしないように、手帳の余白がギリギリのところまでスケジュールを立てている。まるで、千葉に移住した時の質問対応の予約を書き込んでいた時のような状態。あの時も、今も、同じように悩む暇さえ与えられなかったのだから、これくらいが丁度良いのかもしれない。過去のトラウマや、思い出し怒りは収まらずとも、時間は確実に過ぎ去っていくことは明らかなことである。だからこそ、予定帳がビッシリ埋まるということは、もはや過去から離れているということである。なぜなら、後ろを向きながら前へ走ることはできないからだ。仮に、そんな曲芸のようなことをしたら、大怪我は避けられない。昨年の頭蓋骨骨折以来、無茶な信号無視などは、一切しなくなった。

現在、夕方の6時前。12時間も早いフライングブログを書いているのだが、明日は、ランチタイムには、大事な話し合いが入っており、寝坊はもちろん、遅刻などは絶対に許されない。サザエさんの如く、財布を忘れて買い物にも行けない。ぎゅうぎゅう詰めの中、せっかくのブログ毎日更新が途絶えないように、今、こうやって保険の記事を書いている。最近は、ちょくちょくと、このようなことをしているが、これは妥協とか、ズルでは決してなく、自分の中の緊張の糸というのを、出来る限り緩和させることで、自分の心の広さを拡大させられるよう、ゆとりがあるブログ生活を送りたいと思っているからの制限解除なのだ。

金銭的な束縛というか、「呪縛」から離れられたので、自分の心にも、さぞやゆとりが出てきたかと言えば、そんなことは全くなく、むしろ、お金がない時の苦しさよりも、お金が減っていく苦しみの方が、異質の感情とは言え、とても強いのだ。たまに、自分の興味関心が湧いたモノを見つけると、イメージばかりが先行してしまい、値段を見ることも忘れていることがある。これは、自分自身の心に、ゆとりができたのか、卑しくなってしまったのかは、今のところ全く分からない。ただ、一歩でも間違えれば、自分は再び、金銭的な窮地に立たされることは間違いない。常に冷静な自分でいられるよう、もう一人の自分に番人になってもらうしかない。まさに、座禅のような精神鍛錬のようにだ。

一年前に、大きく経済的ピンチに陥った時には、自分の手元にあった多くのモノが無くなった。金目の物は、全てリサイクルショップ等に売却に出してしまったのだ。そして、一年後、やっと地獄から這い上がりつつある自分は、6本持っていたスケボーを取り戻すべく、メルカリアプリで一本購入した。一年で、これほど下手くそになっているとは思えないほど腰が引けており、ずっと誤魔化していた膝の古傷も再度痛み始めている。ただ、やはり日毎に戻ってくるスケボーの風を切る気持ち良さや、技が決まった後の一瞬の静寂など。こんなことにアドレナリンを出す親父などいるのかと言われれば、「ここにいる」と胸を張って言いたくもなる。ドーパミンは、平等に発せられるのだ。年齢は関係ない。

1日にリンゴを5個ほど食べ、バランスボード に乗り、スケボーで一周する。これだけのことを、1週間ほど続けていたら、食欲が自然となくなり、いつの間にかウェストにくびれが出てきた。ダイエットのためのスケボー ではなかったのだが、ドーパミンの快感とは別枠の恩恵を受けることができた。メルカリで、安いズボンを探しているのだが、この調子でいけば、今手元にあるキツキツのズボンが、スッポリと入りそうな勢いだ。しばらく、この恩恵を受け続けておこう。

年齢ばかりを言い訳にして、自分の体のケアを怠っている人がいる。いや、大多数の人がそうだ。私も、その範疇の人間だ。ただ、私には、ずっとスタイリッシュな趣味を続けていたいという願いがあって、それは十代の頃から変わらない。だから、一度あの頃を思い出し、あの頃の記憶と行動を再現できれば、カラダも無意識のうちに絞れてきたり、健康な状態に近づいていくのだと思っている。

変わろうと願うだけではダメだ。強制的に自分を苦しめることだって良くない。自分にとって、「気持ちがいい」と思えること、あるいは、思えていたことを回想して、もう一度トライしてみる。肉体という塊は、時間の経過に抗えずとも、精神という領域は、時間から解放されうるのであり、肉体というのは精神に支配されている。このイタチごっこのような関係を体感できていれば、いつだって自分の考え方を軌道修正できる。諦める前にやらなければという強制力は、全く効果がない。人として、無意識だったというのに、いつも前向きに生きられていた時の記憶を追い求め、回想し、その流れの中で、自分なのかに新しい風が吹き込んでくるのだ。

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