思考力

同じ畑のゆるい空気

教鞭を執る。いや、それを手離せない。ほんの一時期、「先生」と呼ばれない職業に就いていたが、あまりの平凡さに嫌気がさし、辞めるのも早かった。別に、先生と呼ばれることに対して優越感に浸っているわけではない。実際には、離れてみれば「教育」という分野が、どれほど自分に適しているのかがわかった。教え子のポテンシャルを引っ張り上げる。なんとも創造性のある仕事であり、実に素晴らしい職業だと思っている。

仕事を探している。職安にいけど、自分のやりたいような職種の仕事が見つからず、やはり目に行ってしまうのは「教育系」の求人。フランチャイズの塾は、年中募集をかけている。それは、一般の塾の講師求人サイトでも同じで、募集している塾の顔ぶれは、ほぼ同じで固まっている。特に、私の住む外房のフランチャイズ塾が生き残れるのは、地味に都会の風景のある私が住む地域の特徴なのだろうか。

昨日、そんなフランチャイズだと思われる塾の面接に行ってきた。履歴書不要という塾。おそらく、自分の年齢を考えると、それだけで選考を通してもらえないからだと思い込んでいた。ただ、うまい具合に採用され、明くる日である本日、初出勤である。個別指導の塾。奇しくも、私の母が入所していた老人介護施設の目の前にある塾であった。やはり、このような緩い塾で講師をやっていれば、母と過ごせる時間も大幅に増えていたわけだから、わざわざ体を壊してまで、ブラック塾に務めることはなかったのである。

最近は、こころの感傷を癒したいと思うことが多い。なぜやら、夢の中に、亡くなった父や母、大好きだった飼い犬が出てくる。寂しさが夢に出てきている。こうなれば、徒歩で行ける距離にある美術館に足を運んで、一度、こころの痛みを癒してみようか。心を癒しつつ、ぬるくて緩い塾の中で、自分がいかにして生きられるかということを確認したい。芸術に正解はない。だから、そこにある作品と自分の心との接点を見つけるのは、ある程度は鮮明に理解できることなのかもしれないからだ。

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