思考力

分身のノック

昨日もフライングブログ、今日もフライングブログ。こうなったら、毎日二回更新してやろうかとも思いそうだが、自分でハードルを上げるなんていう馬鹿げたことをするなというブログを書いた記憶があるので、無理なチャレンジは止めておこう。もちろん、明日の記事を、陽も落ちきっていない時間に書くのには理由があり、明日から一泊して、病院の受診と、会社面接、東京の物件の内見などの予定がビッシリと入っている。だから、書き損ねても良いように、今のうちに記事を作成しておく。

こんな言い訳めいたことを、毎回書いているのもムダとも言えるし、実際に私のブログの読者が、毎日24時間以内に更新していないからと言って、クレームのメールや連絡が入るわけでもない。今後は、フライングブログに関しての謝罪のような言い訳の出だしを控える方向で行こう。こうやって、一日二回書いた日もあれば、一回だけの日もあると、どこまでの出来事を記事にしていて、どこからの時間に焦点を合わせて新しい記事を組み立てていくかに迷うことがある。一つだけ言えることは、最近は、疲れからなのか、五月病だからなのか、はたまた薬の影響なのかは分からないが、「離人感」が強く、自分が「フッ」と幽体離脱してしまうことがよくある。明日、明後日は、二日連続で主治医のカウンセリングを受けられるチャンスができたので、ここは細かく分析してもらおうと思う。

もしかすると、今の自分を観ている、幽体離脱した自分は、最近のハッピーで浮かれすぎている自分に、いつでもデンジャラスアラームテレパシーを、送り続けてくれているのかもしれない。明らかに、オーバーワークなのに、何やらソワソワする。人生の時間がもったいないとまではいかないけれど、最近、どんどん解除されている、私の足にしがみ付いていた足枷が外れ、いかにも自分が縦横無尽に動けるかのような錯覚を起こしてしまっている。自分で「錯覚」と言えるくらいだから、まだ自分の中の自分の範囲で、客観的に自分を見られているのだと思うことにしよう。

今の自分にとって、一番大掛かりな問題は、実はたった一つで、このまま千葉に留まるか、東京へ戻るかである。足枷が取れて、釣具屋で買い物をする。釣りをしたくてたまらないとは言え、車がない。それでも釣具屋を徘徊している自分がある。そして、自分のアパート周辺をスケボーで流していれば、いつもの近所の人が笑顔で挨拶してくれる。やはり、外房の緩い空気というか、外房なのに、結構都会の今の街が好きになりかかっているのかもしれない。好きになるというよりも、同調してきているのかもしれない、だから、今、この状態で千葉を後にし、東京へ戻ってしまうのであれば、それはとてももったいないことであるとも言える。

今日、膝の痛みが増し、病院へ行って、ヒアルロン酸の注射を打ってもらった。その後に、スーツを着て、とある会社へ向かうと、かかとの靴擦れから出血していて、痛くてまともに歩けなかった。帰路に着きつつ、スーツを脱ぎ捨てて釣具屋に行けば、顔馴染みのスタッフと仕掛けの考察をする。店を出れば、年老いた爺さんが、私に話しかけてきた。みんな寂しいのだろう。だからこそ、自分だけが孤独の暗闇にいるなんて寂しいことを言わないで、多少相手が引いてしまうくらいの勢いで、自分から相手の心の扉を叩くくらいの勇気を持ち合わせていたい物だ。そして、そのような考え方ができるようになれば、この千葉外房で、大きくて価値のある考え方にシフトできたのだと言える。こんな気持ちを、我々は、絶対に大切にすべきではないだろうか。

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