思考力

三つの時間に分けられた文章の変遷

 

土日は、嫌いである。こんなコロナ禍だというのに、とにかくどこも混雑している。そもそも、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、海沿いの駐車場は閉鎖されているというのに、波情報の状況をチェックすれば、何故か、波の良いポイントは、100人以上は悠に超えるポイントパニック状態。昨日などは、温泉のサウナでは、若者グループが大声で談笑し、上のオッサンが、ケツの穴を出して、私の頭の上でケツを掻いていた。この温泉も、やはり、ポイントパニックだ。

今は、海外で波乗りをするのも、その国がロックダウンしていれば、当然のことながら自粛しなければならない。ただ、日本では、水際対策も行われていなければ、国内に至ってでさえも、都道府県を跨ぐことは容易である。そもそも、「国民一人一人の協力こそが」と言っている人が、心のどこかで「売名行為」を企んでいるのだから、国民一人一人の非協力的な態度を改めさせられそうにもない。

先日のブログでも書いたことなのだが、自分と同じアパートに住む若者と、赤ワインを飲みながら談笑したことで、久しぶりに、心の底からの楽しさを得られた。ただ、お互いの考え方が、あまりにも一致していて、酷似しすぎているぶん、お互いの心の壁と距離、シッカリとをキープしておこうという意思は伝えてある。お互いが、お互いを認め合うとき、そのような本当の意味での腹を割った付き合いというのが可能になると思っている。逆に、馴れ合いになったら、その付き合いは惰性に満ちたものに成り下がってしまうのだ。

実は、このブログは、夜書いていて、アウトラインだけ作っておくことから、ややフライングブログ気味となるのだが、今朝の爽やかな文章とは、明らかに文体が違う。夜になると、やはり気持ちというのは鬱屈としてしまうのだろうか。いや、そうに違いない。突発的なアクシデントさえなければ、人生は楽しんだもの勝ちだという趣旨の記事だった。しかしながら、そうも言っていられないニュースが入っていた。70代の人が、爆走したタクシーにはねられ、そのタクシーは、自転車もはねて、歩道にまで侵入したそうだ。実は、コレは他人事ではなく、私は人こそはねなかったが、同じような大事故を起こしている。だから、やはり、赤ワインを呑んで、睡眠をとってからとはいうものの、飲んだ翌日に、釣りへ向かった日は緊張した。酒は抜けていると分かっていても、仮に人をはねてしまったら、自他共に人生が大きく曲がってしまうのだ。

このように考えたときに、やはり、突発的な事故に対して、自他ともに平和に過ごすためには、互いの違いを認め合いつつ、思いやりの心を持つことの重要性がわかる。今、風天のトラさんのような生き方をしている。明日は、目が覚めた時間で、釣りに行くか、東京の歯医者に行くかを決める。早く覚醒したら釣り。寝過ごしたら歯医者。予約をとっているから歯医者が優先なのだが、目が覚めたのが早かったのなら、それまでの時間を釣りに捧げたって良い。その後に、間に合うかと言われれば、答えは「NO」となるのかもしれない。ただ、ハンドルを握る手には、責任を持つ。持ちすぎていけないなんてことはない。

ここからは、釣りから返ってきて書く文章となる。色々と、心境が違う状態の文章には、どのような文体の移り変わりが出るのであろうか。結局、東京の歯医者をキャンセルしてまで、釣りにふけっていた今日。やはり、多少の疲労感は否めずとも、元気よく文章を書けている。これは、躁状態という病気が原因なのか、はたまた、これこそが本来の私なのか、いや、千葉に来て得られた、生まれ変わった自分なのか。恐らく、新しくなった性格が固定したようで、最後の自分が正しい自分のようだ。これを、明日の東京SHIBUYAの医者の診察で診てもらおう。それと、本来なら、今日明日で、一泊しているはずだった歯医者へ行こう。それだけ、自分の身体のケアを怠ってはいけないと、特に、最近は意識するようになっている。

やはり、それは、YouTubeで「健康系」の動画を観ていると、いやでも意識することにもなり、マルチタスクで、片手間に骨伝導スピーカーで音声を流して、脳に振動音を響かせていれば、簡単なスマホの通知をチェックしながらでも、脳味噌のどこかに蓄積している。そして、同じようなベストセラー本というのは、他のチャンネルでも当然のようにアップロードされているので、3回4回と、同じ本の要約動画を視聴することになる。こうやって、無意識かであっても、いろいろな角度から同じ本の考えを自分の中に取り入れられるとは、なんとも素晴らしい時代になったものだろう。こんな時代は、本当に恵まれているとしか言えない。

ただ、結局は、10年後の人たちから現代を見れば、ひどく不便な生き方をしているというのは確実。時代は流れ、進歩しているのだ。もはや、最近の科学技術の発達というのは、”5G”通信の回線速度に引っ張られるかのような加速度を増して、「進化」の領域にまで達している。これを、実感できていないで、ただ生きているだけで、下らぬ動画や、意味のないゲームに、時間を費やしているのであれば、なかなかこれからの時代を生き抜くのは難しいと言えよう。近い将来、ほぼほぼ高い確率で、日本にも「ベーシックインカム制度」が、導入されることだろう。そうなったときに、あせって受け取り方を学ぶより、どうすればベーシックインカム制度を回避できる世の中になるのかという、スケールの大きな考えを持ち、常に問題意識を高くしておかなければならないはずだ。

今日の釣りでは、せっかく買った施設でのコマセの質が悪く、クレームを言いに行ったら、「喧嘩上等」的なスタッフの横柄な態度に憤怒し、そのまま気分の悪い釣りに突入し、いきなりリールのネジが取れて、海の藻屑と消えていくという怪奇現象が起こってしまった。やはり、イライラしながらの釣りというのは、良くない。ただ、最近は、その釣り施設で友達もでき、今日は、一日中隣の席で談笑しながら釣りをしていた。その腹立たしいアクシデントも笑って許せるような楽しい釣り。「モノ」ではなく、「体験」を買う時代だ。とはいえ、無くなってしまったリールの替えは買わなければならないのは必然であり、なけなしの財布から、激安のリール代が消えていってしまった。まぁ、貧乏な生活を楽しむのも悪くない。次回のブログあたりで、「今後価値がなくなるモノ」について書いてみようか。

ただ、文章そのもののテーマを固定するのもよくない。でも、この「これから無価値になるモノ」の逆説的な考えについては、いつか必ず書きたいと思っている。

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