思考力

カンガルーの持ち物

最近、復活した悪癖に没頭していると、やはり部屋が汚れてくるのかと思いきや、そうでもなく、床に散乱したモノを整理すれば、すぐに床が見えるという整い方をしている。千葉に来て、ものを整理したり、掃除をしたりすることの大切さは、とてもよく理解することができるようになったが、やはり、そこから受ける恩恵はとても大きく、人間関係や、負の連鎖反応などのトラブルを回避するのに、十分役に立っている。もう直ぐ6月だから、表現するのは難しいけれど、やはり「5月晴れ」のような爽やかさ。これも、物を整理整頓しているから得られる恩恵だ。

今、煎れた手のコーヒーを入れたコップを片手に、朝日を浴びてきた。それこそ5月晴れを教科書通りに再現しているような天気模様だ。空が、突き抜けるほど青いときには、人間は自分のちっぽけさを感じる暇さえ無くなって、その小さな自分が広く自分を覆い尽くしているような錯覚に落ち着く。やはり、人間と自然界とを切り離すことは不可能であり、AIが生成したロボットに、心の底から何かを感じ取ることはできないのだと思う。もしできるのであれば、そこには虚構に満ちた空間から合成されたフェイクに違いないと思う。

6月1日より、とうとう仕事が始まる。それに向けて、もはや捨てるものもなくなりかけているモノを、どんどん処分していかねばならない。もっと身軽に、もっと落ち着くために、やはり自分の持ち物というのを考え直すべきだ。身体一つで引っ越しできる状態を、可能な限り実現させていく。それくらいの心意気がなければ、新しい引っ越し先で上手く立ち回ることはできないと考えていいだろうと思っている。それほどまでに考えられるほど、断捨離と整理整頓というのは大切な行為なのだ。

慣れ親しんだ物に、思い出と感傷的な想いを持つだけのスキマがあるとするのなら、それを断ち切り、新しい記憶や思い出を付け加えられるスペースを作る。そういうふうに、過去のデータを消去しつつ、現在の動きを妨げないように容量を確保していく。過去のとの決別は、どのような基準で図るべきかは、その人次第ではあるのだと思うが、やはり、ものを処分する上で時間がかかりそうなアイテムなのであれば、そこは「ゴミ」だと判断して捨ててしまうこと。そして、それこどが新しいステージで活躍できる身軽さを手に入れることに繋がるのだ。

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