思考力

透子

買い物をするときの接客が、あまりにも過剰だと不快に感じる。少しでも反応すると、求めてもいないような商品知識を語り出して、動けなくなってしまうこともある。囲い込み戦略とでも言おうか、ほとんど「脅し」のような店もあり、二度と行くまいと心に決めたような店もある。実際に経験したことなのだが、昔から柄が悪くて有名な古着屋があり、多少は顔なじみになった店があったのだが、話が弾んでいるうちに買いたくもないようなズボンを買うような囲い込みを受けた。「カネがないから後日にする」というエクスキューズなど効かない店であり、通称「試着したら終わり」という異名を持っていた。

 

以前、裾上げをお願いして、電話番号と住所を教えてあったのだが、逃げるに逃げきれずに強制的な購入となった。その後は、購入を促すような呼び出し電話がかかって来る始末。「住所もわかっている」「ここら辺を歩けなくする」などの闇金の取立てなのかと思うような電話が来るようになった。さすがに家まできたらケーサツ沙汰にしよう思いつつ、泣く泣くケータイの番号だけは変えた。小心者の私とはいえ、かなりハードな古着屋だった。ケータイが普及する前のビンテージブームの頃は、その店にはガラの悪い輩がウロウロしており、その頃に自宅の電話番号を教えようもんなら、引越ししなければならなかったのかもしれない。

私が、大学一年の時のバイト先は、スポーツ用品店のスタッフ。普通の大学生とは一味違うバイトをしてみたく、そこのサーフィンコーナーで「いらっしゃい」と叫んでいたので、周囲にはサーフショップの店員ということにしていた。なかなかカッコイイ響きだ。夏休みの間の2ヶ月働いたのだが、私は「クレジットカード」なるものの存在を、そのときに初めて知り、その支払い方法など知る由もない。「一括」「分割」「リボ」などの訳の分からない用語を言わなければならず、さらに商品のタグに割引のシールが貼ってあれば、そこから割引を差し引くためのレジ打ちをするので、レジに行列ができる。別にセール期ではない。そのトラウマがあるので、職安に行っていた頃には、レジ会計のある仕事を選択肢から外していた。コンビニの店員が、いろいろな支払い方法を学習していることは、レジを叩けば震えに当たる私から見ると、本当にリスペクトに値する。

 

そんな中、スタッフとして接客をすることになるのだが、一度、女性客のサーフィンの日焼け止めの「ラッシュガード」の販売接客をした時のこと。今では、入れ墨・タトゥーが入った方々の迫力をプールでは控えてもらうために、それを着てもらうことがあるようだが、女性が身につける洋服に関しては、基本的に女性スタッフが対応しなくてはならなかったらしい。確かに、私も紳士服売り場で下着を選ぶときには、女性スタッフだと気まずいこともある。それに、下着を選んでいるときには男性スタッフが対応となるのは、そのせいなのだろうか。

かなり長い時間の接客になり、女性社員が何回か接客を代ろうかと言って来る。そのような理由があることも知らなかったので、そのまま接客をしていた。3回程度の試着のあと、本当に申し訳なさそうに購入意思がなくなったことを伝えてくれた。申し訳なさそうな背中越しは、結構鮮明に憶えている。女性スタッフが、売れなかったことを慰めてくれた。昔と比較して最近では、そんな気まずい空気を出さないことを配慮してか、最近の店頭での過剰な接客は見られない気もするし、何より贅沢品そのものを買うことをしなくなったので、店頭事情はよく分からない。ネットで買おうと思えば買えるのだから、わざわざイカツイ店員のいるショップでオシャレ着を買うこともあるまい。ホームページを見て、欲しいものを頭でイメージし、購入したいものがあれば店舗に行けばいい。そんな時代にもなった。

塾の講師としてやりがいを感じることのひとつとして、新規入会体験希望者が自分の授業をキッカケに入塾してくれたときだ。自分の授業をを認めてくれたら、やはり自分のプライドが高くなるのは必然。とあるマンツーマンスタイルの大手塾で働いていたときに、私は「入会率100%」「リピート率100%」だった。完全無敵状態。ただ、この頃は逆に恐怖もあった。負けたことのないボクサーは、逆に不安に押し潰されることがあるというが、まさにそのような状態でもあった。そのようなピリピリした状態で、周りが軽はずみな指導をして無責任なことをしていれば、イライラは募るばかり。最終的に、殺到する仕事の依頼と、待遇の悪さ、さらには周囲の緊張感の無さが理由で大爆発して辞めてしまったもちろん、そんなに甘い業界でもなく、その後は入会率100%などということはありえず、入会しなかった生徒も多々いた。100%の頃が異常だったのだ。

 

逆に、塾の講師として一番傷つくのは、やはり生徒が辞めてしまうときだ。接客でいえば、こちらに何らかの不手際があったということにもなるので、そのショックは大きい。大学受験専門のマンツーマンスタイルの塾で、中学生の頃から高校2年生になるまで通っていてくれた、目立たない女の子が辞めてしまったことは、私の人生に大きな転機をもたらせた。

日々、多くの生徒をマンツーマンで教えていると、やはりクセのある生徒や、印象に残るような発言をする生徒に気持ちが引っ張られ、大人しい印象の生徒の授業は、決して手を抜いているわけではないのだが、あっさりと終わることが多い。そんな中、中学生から通っていてくれた生徒の成績不振のことを、とても不安に思い、塾長に相談していたこともあった。健気に通っているにもかかわらず、成績が伸びない。年単位で通ってくれているのだが伸びない。ただ、つい最近入塾したような感じしかしない。目立たない存在ということなのか、いつの間にか高校生になっていたような生徒。生徒の中には、たった一年足らずで、強い印象を残す生徒もいれば、うっすらと記憶から消えていく生徒もいる。そんな一人だったのかもしれない。

 

保護者から文句を言われたらどうしようかと、塾長には相談していたが、塾長は問題ないと言ってくれていた。ただ、やはり「その時」が来てしまった。1ヶ月、4回セットで授業を構成するシステムの塾だったのだが、その月の途中に、退塾の申し出が出て、残りの2回ほどは「欠席」として処理してほしいということだった。言い出したくても、なかなか言い出せなかったのだと思う。親とも話し合うときには、胸が痛んだことだっただろう。目立たない存在だったかもしれないが、私を傷付けまいと必死になって授業を受けてくれていたはず。そんな生徒の優しさを感じたときに、胸が痛んだ。

でも、その生徒の退塾の申し出が、私の講師人生を180度変える契機となった。自分の授業スタイルの至らなかった点を解析し、生徒に教え込むのではなく、共に考えることこそが大切なのだと知る。パフォーマンスの授業スタイルから、対話式授業スタイルに一気に舵取りをし、ひとつの問題を解くときには、必ず「知恵を絞り合う」というスタイルにした。これにより、生徒が間違えやすい部分をしっかりと把握することができ、次に教えるときには、ここは多くの人が間違えるのだけれども、という付加的な言葉を入れて解説することで、説得力が大幅に増すことも知った。

 

ときに、こちらを傷つけないように我慢してくれている人がいて、こちらも何となくそれに気づいていて、避けられない亀裂が生じてしまう。そこから何かを見出さなければ、自分が成長することはない。だから、ずっと別れを打ち明けられずに悩んでいた人に別れを告げられたとき、ただただ傷ついて終わりなのではなく、それを切り出すのに、相手がどれだけ苦しい思いをしていたのかということを感じなければ、本当のお互いの優しさを感じられなくなってしまう。物事には、始まりがあれば、必ず終わりがある。その中で生じる様々な変化の中で、自分だけではなく、誰かが打ち明けてくれたことに対して、謙虚に、そして誠実でいなければならない。

成績をあげられなくて申し訳なかった。でも、ギリギリまで我慢してくれてありがとう。その優しさから、自分の講師生活を大きく変えることができた。本当に感謝しています。

 

 

 

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