思考力

追憶して感謝できるまで

ふと、この記事を書き始め、取り立てて書くことも思い浮かばないでいると、マンションのオーナーが部屋へ声をかけてくれた。ふるさと納税返礼品に関して、ティッシュぺーパーとトイレットペーパーは、明らかに部屋の中で余っていったので、ここぞとばかりにオーナーに渡した。昨年末にも、返礼品のお菓子を贈っていたので、かなり受け取りに困ってしまっているようだった、でも、念の入った置き物ではなく、生活必需品であり、消費すれば形がなくなっていく物ゆえ、遠慮されたとしても、渡しても心底嫌がられることもないだろう。

最近、飼っていた犬や、母のことを思い出す。犬も母も、毎日心から自分のことを好きでいてくれて、いつも自分の味方をしてくれていた。それなのに、自分はそれに対して感謝するどころか、冷たい態度ばかりしていた。そして、今、講師て振り返るたびに、どうして当時、もっと素直に向き合っていてあげられなかったのかとか、楽しい思い出を積極的に作らなかったのかということを後悔している。だから、それを考えると、いつも心の中で、「ごめんね」と言ってしまう。これを言い出すと、自分がいかに罪深い人間であるかを痛感するし、自分のせいで人生の多くの時間を悩まなければならない状態にさせてしまった相手に、もう謝れないのかと思い、反省の気持ちも癒えない。

自室の中を見渡せば、ドラム式乾燥洗濯機、パソコン、スマホ、タブレット、IHクッキングヒーターに、電子レンジ、ルンバだってある。今も、これらのガジェットを使って記事を作成しているのだけれども、自分がやっていることといえば、記事作成のために指先を動かしている程度で、あとは掃除も洗濯も家事全般は、私以外のメカが終わらせてくれている。頑固な食器洗いなどは、ひどいストレスを伴うのだが、こんなストレスフルな家事を、母は一人で黙々とやっていた。しかも、9時5時の仕事に、犬の散歩つき。一番買うのを反対していた犬の世話の9割7分は、母が行っていた。金銭的にも何一つ返せないばかりか、まさにニート生活をのんべんだらりと送れたのも、母のおかげ。もう、どんなに感謝をしようが、生きた状態での母と、現世で対話をすることはできない。これは、本当に悲しい現実だ。

これから、東京に行って、精神科の受診にいく。一泊して体調を整えてからの受診だ。自分がどれだけ母に依存していたのかをよく知っている主治医は、今の私の追憶を、どのように捉えていくおだろうか。精神科の治療には、適切な治療とカウンセリングが不可欠。そして、服薬と自己管理が、患者にも不可欠。こうなると、やはり自分が東京で受ける治療というのは、自分の人生において、とても重要な要素を多分に含んでいる。明日は、一体どんな診察になるのだろうか。それを少し楽しみにできるくらいの気持ちを持てるのであれば、症状の寛解が保たれているという事にもなりうるのであろう。

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