思考力

要点と飾り

 

たった今、オンラインの授業を終え、現在は日が暮れようとしている夕方にブログを書いている。このようなケースは、かなり稀である。朝起きてすぐに書いていた頃や、次の日の予定によって書く時間を奪われないようにするためのフライングブログ、なかなか眠れずに夜な夜な書いていたというパターンもある。だから、今回のように、予定が終わってから少ししてから書くというパターンは、なかなかない。仕事が終われば、もはや残りの仕事は、このブログを書くだけになるので、そのような意味では、肩の力が抜けた状態で書けるわけだ。だから、久しぶりにBGMをかけながら記事を組み立てていて、ピアノの音調に合わせて、静かな空間で書いている。なかなか爽快だ。

空間といえば、この記事を書いている私の部屋も、とてもスッキリとしているわけで、待ちに待った「燃えないゴミ」を捨てる日が、明日に迫っている。ワクワクして眠れなさそうだ。寝過ごさぬよう、フライング気味とはいえ、近所の方には申し訳ないが、夜な夜なゴミを出してしまうという「フライングゴミ出し」にも、目をつむっていただきたい。燃えないゴミを眺めていると、早く自分の視界から消え去ってもらいたいという願いばかりがこみ上げてくる。所有物というのは、結局のところ、過去の思い出が多少なりとも残っているわけだから、それに「カタ」を「付ける」ためにも、断捨離をするというのは素晴らしい行為である。

今、容赦なく断捨離できている秘訣は、Bluetoothの骨伝導イヤホンを装着しながら、ミニマリストの動画の音声を2倍速で聴くこと。内容は理解できずとも、ミニマリストの発想を、脳のどかかでストックできているはずだという「念」に近いBGMのようなパワーで、捨てるリズムを整えているのである。燃えないゴミを捨てたら、残るは布団とマットレス。来客することもない人のために布団を所有していても意味はない。仮に、来客があるのなら、その時は豪華な旅館にでも連れて行ってあげればいい。そもそも、友達付き合いですら、バッサリと断捨離しているので、今、関係がある人というのは、近所の顔なじみの人たちくらい。そんな近場の人が、わざわざ自分の部屋に来ることもなかろう。

確かに、恋人でもいようものなら、夜な夜な布団が必要なシチュエーションにはなるのかもしれないが、そんな熱狂的な私のファンもいなければ、私が夢中になれる人がいないのも現状。自分のカラダを売ってまで、ホストに通い、一晩で1000万も溶かす女性もいれば、一円単位で収支を計算し、節税の鬼と化す経営者だっている。皮肉なことに、そのような鬼の目を持つ経営者であっても、キャバクラに費やす金には糸目もつけなくなるわけだから、「酒と涙と男と女」の関係というのは、なかなか人情味がある関係性を表している。

私は、そのような夜でもキラキラしているような世界に浸れるほどの経済的自由を獲得しているわけでもないし、オネーちゃんが注いでくれる酒よりも、目が覚めて淹れるコーヒーをセットし、歯磨きで口の中をサッパリさせてから飲む、二杯のコーヒーに人生の喜びを感じる毎日だ。他の誰でもない「コーヒーカップ」に向かって、「おはよう」と言う。なんて幸せで金がかからない生活だろう。そんなコーヒーカップは、甥っ子とゲームセンターのUFOキャッチャーで獲得した『ワンピース』のマグカップ。茶渋がもはや除去できないほど使い込んだコップで、甥っ子が週に二回も自宅に来て遊んでくれていた頃に手に入れた物。先日の母の葬儀では、私の身長を裕に越える背丈となっていた。何やら感慨深いものでもある。

コロナが蔓延している中で開催されたオリンピック。トップニュースは、オリンピックとコロナが優劣を競い合うかのようなトップ争いをしていたが、もはやオリンピックが過ぎ去れば、コロナがトップを独占している状態となる。緊急事態宣言も、何度目かカウントするのも難しいというより、意味がないと感じてしまうし、「マンボウ」などはあってないようなモノ。リモートワークを推奨し、週休3日の会社や、都心から田舎へ移住する者への給付金が出るような政府の方針もある。では、週休3日もリモートも不可能な医療現場は、まさに逼迫以外の何者でもないと言える。現役の看護師たちが、次々と退職するほどの過酷さに、病床の数が追いついていない状態。この状況を考えて、せめて政府は、再度、全国民に給付金を配るなどの苦しみの緩和を促すような対策を、具体的に進めて頂きたいものだ。

かつての私は、「具体」と「抽象」を、「くっきり」と「ぼんやり」で区別し、解釈していた。ただ、それは大きな誤解であるようだ。具体を大きく枠で括った範囲を、抽象と定義すれば、あくまでも、個々の具体というのは、要点を装飾しているだけの飾りに過ぎない。つまり、物事の本質を掴むためには、「抽象」を理解し、そこを「要点」として考えなければ、物事を正確かつ端的に理解することはできないのだ。部屋を整理していくことを抽象として捉え、燃えるゴミと燃えないゴミを区別して選択しつつ捨て去り、部屋全体を見渡せば、自分の部屋の中の重要な部分が自ずと見えてくる。このような考え方を礎にしていけば、本質を理解する能力は高まり、余計なことに気を取られ、時間を奪われることもなくなってくる。

では、政府がやっている対策というのはいかがなものだろうか。コロナに対しての政策という論点そのものを、緊急事態宣言を部分的に行っているということそのものが、既に的外れになっているのではないか。そして、本当に対策を行うべき政策の論点は、そもそもの国民の生活全体の安全を守ることだということを再認識しなければならない。感情を持たない「ウィルス」は、待ったなしで襲撃の手を緩めてはくれない。明日は、1回目のコロナワクチン接種の日。副反応が起こらないことと、コロナの収束を祈っている。

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