思考力

西暦2040年の恐怖

「ゴンッ」というタテの揺れが3回程度あり、家が横に揺れた。築年数がかなり経過している今の借家は、地震が発生すると、普通の家よりも強い揺れを感じる。昨晩はなかなか寝付けず、その不安から逃げるためにコンビニに行き、8時間後に揺れるなどとは全く知らない古ぼけた自分の家に戻って、お菓子とジュースと惣菜パンを貪り食った。眠りを得るために、一気に食べ物を腹に入れ、血糖値を爆上げすることで眠気を誘発するという最悪の方法。そんな罪悪感とともに、なかなか起きることができない私を起こしてくれたのが、今朝の「縦揺れ直下型地震」だった。話が、イタチゴッコのように上手く回転した。

眠れなくなるほど面白く、面白いように時間を浪費してしまう「メルカリ」のウィンドウショッピングをし、気づけば日付またぎの昨晩だった。睡眠に関する知識は、かなり深くなったが、それを分かっていつつ実行していない私は、完全にアウトプットをしていない情けない頭でっかちな人間だ。本を読んだり、ネットで調べたり、最近の私の中で一番の情報収集である「YouTube」からであったり。たとえどんなに有益であったとしても、手に入れた情報や知識を、しっかりと結果に結び付けなければ、ある意味では「メルカリ」に時間を吸い尽くされたのと同じ状況だ。

私は、職業柄、相手の潜在的に眠っているモチベーションを高め、その人を動かし、徹底的に目標を達成させる能力が高いと思っている。私を心の底から信じてくれる人が現れたのであれば、その時点で、私の仕事は100分の1になり、ほとんどミッション完了となる。逆に、英語講師として最も苦しいことは、私の指導方針そのものに対して、全てを完全否定して心を閉ざしてしまう者を指導しなければならないときである。このような輩が、私に牙を剥いて抵抗し、授業そのものを力尽くで妨害してきた出来事を思い出すことが最近多く、かなり生活の足枷となってしまっている。

個別指導なのであれば、このような理不尽な現象が起こることは皆無とは言わないまでも、ほとんどの場合、避けられるケースが多い。他方、集団指導、特に、5教科ワンセットで授業を取らせるスタイルだと、非常にタチが悪い。いくら一流のシェフやベテランの板前のオススメ料理であっても、完全に自分の食べたいものが出てくるということは、結構な高額の宝くじを引き当てるのと同じくらい難しい。そのような無駄な「ルーズルーズ」「三方悪し」のようなことを、力尽くでやっている塾の未来は、暗いというより、もはや無い。

『チーズはどこへ消えた?』なんて名著があるけど、結局のところ、形あるものは全て「消える」ことは避けられないし、ネズミに生まれようが人間に生まれようが、自分の人生の満足度を上げるには、自分なりの価値観や主体性を考え、変化するもよし留まるもよし。現代のように、変化があまりにも凄いスピードで変わっていくのであれば、このストーリーのありがちな教訓として「変化を恐れるな」という考えそのものに危険信号が灯る。仮に、タナボタ待ちであったとしても、「変化しない」というスタンスでいれば、何らかの「変化」が生じることもある。もはや、ひとつの物語の道徳的な教訓という基準が、必ずしも全てに当てはまるということもないのだ。

ただ、私の職業というのは、目標設定をした人のサポートをするという範疇で、相手のビジョンに共感し、そこに至るまでのプロセスにおいて「楽しい」という感情を芽生させる必要がある。機械と人間の決定的な違いというのは、前者が一定の動きを卒なくこなすのに対し、後者は一定の単調な作業を不得手とする点である。感情が行動を阻害し、単調さが目標達成のモチベーションを下げる。そう考えると、感情を持たない機械が、現在進行形で人間がイヤイヤやっている単調な作業や仕事を代替していくことは、やはり今後ますます避けられぬ実態となろう。機械が、労働基準法違反だと言って会社を訴えたり、パワハラを受けたと言ってデモを起こすこともない。結果、会社にとっては、機械のメリットは多く。逆に、その従業員には、恐怖だけが付き纏う。

ドラえもんに頼んで、タイムマシンをレンタルする。10年前には、スマホなる板チョコを撫で撫でしている人は、あまり多くないようだ。10年後を見れば、板チョコを撫で撫でしている人なんて、高齢者のみ。みんな、『ドラゴンボール』のスカウターのようなデバイスを耳にあてがっている。走っている車の運転席には誰もいないし、空を見ればドローンのような乗り物で人々が行き交っている。2030年。オリンピックもパラリンピックも、開催国という概念がなくなって、デジタル機器を使いこなせる人だけが閲覧できるスタジオで、競技を観戦している。その時だけは、少し大きめの「VRゴーグル」が必要みたいだ。ここから先は、禁断の世界だと思い、2040年の世界を観ることはしなかった。人間とロボットが融合して、キン肉マンの「ウォーズマン」のような人が溢れかえっている気がして恐怖だったので。

仮に、あと16年間。私が60歳を超えるまでずっと、「つみたてNISA」と「iDeCo」を、満額積み立てられたとしたら、老後2000万問題は悠に超えられる。それまでに、もし私のブログが継続されていて、もし「思考力養成予備校」が存続していれば、私の老後は金銭的に苦労するどころか、リベ大両学長とモルディブオフ会をできるかもしれない。人が何かを習慣化するために要する時間というのは、「21日〜66日間」と言われていて、私はその数字をひたすらに信じてブログを書いていた。結構苦しい時期もあったが、やはりどこかで「66」という数字に賭けている自分がいて、それを乗り超えて以来、かなりブログ更新が楽になった。今では、起床後すぐに書かなければ、何やら落ち着かず、書き切ったら1日を爽快に始められるという「喜び」を得られている。

iDeCo is a defined contribution pension plan in Japan.

とどのつまり、人間の意思というものには大差はそれほどなく、大きな結果を出している人といない人の決定的な差異というものは、自分のリターンを得るためのスモールステップの中に、いかに自分の喜びや報酬を挟み込めるかにかかっている。私が、ここまで習慣化してブログを書き綴れているのかは、やはりこの自分へのリターンを明確に意識させ、うまい具合に馬の鼻の前にニンジンを引っ掛けられたということに他ならない。こうやって自分を調教することを繰り返し、今後、自分と出会うことになる人の鼻の前にブラ下げるニンジンの魅力を伝える催眠術のトーク力でも磨いていこうと思う。

-思考力