思考力

燃える小物収集


リラックスするために、人は、趣味を持つものだ。しかしながら、自分は非常に熱し易く冷め易い性格ゆえ、なかなかリラックスしながらレジャーをするということが難しい。たった今、釣りたての魚を全て捌き終え、それを全て平らげた。今は、釣りの後の調理にも凝り始めているので、この熱は、かなりの高熱である。コロ助のような後遺症だけはゴメンだ。

目が覚める時間により、私の行動は変わる。夜明けの数時間前ならば、千葉市方面の釣りへ場へ行き、夜明け1時間前程度であれば、波乗りに。やがて、なかなか起きられなければ、そのままスロービートのJAZZをかけながら、ブログを書くようにしている。借金を差っ引けば、セミリタイアといった生活だ。

ただ、睡眠時間が少ない状態も困る。眠らずに釣りに行く生活が続き、居眠り運転で、大学入学時に買ってもらった愛車が、廃車になったこともあれば、少ない睡眠時間で、ヤンチャなことをやって、「御用」となったこともあるので、少々のエンジンブレーキは、必要かとも思っている。釣りも波乗りもサイコーだと言うのはカンタンだが、何事もキワのキワまで極めなければ気が済まない私の性格には、残念ながら、なかなかブレーキはかからないと思う。

逆も困る。何もかもが億劫になって、家から出られないどころか、指先ひとつ動かすことも辛かった日々もあった。大学3年から4年にかけての長い1年半。最愛の母に支えられて、何とか立ち直れた。今は亡き母。いつも自分のことを責めてばかりで、全てのアクシデントを、自分一人で抱えてしまう人だった。

その気の小ささを象徴しているのか、安物買いをしては、それを貯め込み、一切捨てようとはしない。物を片付けられない。千葉に来て、100均でも連れて行こうものなら、同じような文房具を買い、介護施設に戻ると、値札も取っていないモノが、ワンサカ出てきて、よく叱ったものだ。

昨日、ちょうど、床屋の店主と、亡き母の話になり、自分としては、もっと時間をとって、もっと色々なところへ連れて行ったり、美味しいものを食べさせたりしてあげたかったと言うと、店主は、誰でも同じように思うと言った。実際に、色々なことをしてあげてしまうと、お互いの距離感が掴めなくなり、余計に不幸な生活に陥ってしまうというパターンも多いそうだ。これには、なかなか説得力があった。

親に優しくありたいという気持ちとは裏腹に、今になって考えると、自分の人生の効率を上げることばかり考えてしまっていた。コロナ禍で、最期の1年くらいは、まともに会うこともできなかった。これは、親を失った人の中では、レアケースであろう。しかしながら、このようなご時世が長引けば、コロナ禍で自分の親が他界したとしても、もはや、何も感じない人も出てきてしまうような気がする。

胸が苦しくなる。これは、やはり自分の中にある「雑念」に似た何かに火がついて、燃えさかることから生まれる気持ちなのだろう。ただ、苦しいからと言って、自分の「無」を求めることばかりで良いのだろうか。不思議と貯まっていく苦しみの根源は、やはり、自分の中にあるとするならば、やはり、母の「小物収集」のような感覚と同じく、捨て去るということに罪悪感を感じなければならないはずだ。

もはや、予備校の垣根を超えて、現場の講師たちは、受験生を掻き集めようとしている。だが、それももう遅い。どんなに過去に栄光がある講師でも、時代に争うことはできない。昔の思い出を捨てきれずにいれば、ただの昔語りの「老害」となる。そうなりたくなければ、やはり私自身も、母との思い出ばかりにしがみついていては、甘えの抜けきらない「中年」に終始してしまうこととなる。

アメリカに国籍がある日本人のノーベル賞受賞を褒め称える、新しい首相。無作為に電話をかけて出たという新総理の賛否のデータは、各メディアで数字が異なっている。このコロナ禍で、確実な経済政策はできるのだろうか。そんな議論も、今ではYouTubeで、政治家同士が腹を割ってコラボ動画をアップしている。そうなれば、まさに、裏の裏すらかけない、ニュートラルな政治になっていくのだろうか。それならば、こんなにフェアな時代もない。

タダで動くのは地震だけ。こんなことを言って、父を叱っていた母。お金に関してだらしなかった父ももう居ない。独身の私は今、自分のことだけを考えて行動できる。大きなアクシデントであっても、それは自分の中だけで解決すれば、誰に迷惑をかけるわけでもない。

東北で起きた地震が、鹿児島で起きた。まさに「南海トラフ地震」の危険性が上がっているとしか思えない状態。早々にリタイアして、もっと税金の安い国に移住しよう。1人だと、このような面において、とても楽チンである。最後は、何とも締まりの悪い終わり方になった、今回のブログである。

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