思考力

可視化できうるか

私が「論理」に関して、しっかりと解説を受けたのは、浪人生の頃だという話は、過去の記事の通り。言葉を大切にし、論理的に物事を考えることの重要性を師から学んだ。10代後半から、そのように、論理的に物事を考え続けられたことで、私自身が、他者に対して何かを伝える際、相手の立場で物事を考えられる「他者性」を重んじられるようになった。相手に、自分の考えを正確に伝える為に必要なことを考える。逆に、相手が言いたいことを、しっかりと受け止められるように、他者の思考回路を分析する。論理的に考える習慣を、日々の生活の中で取り入れられたということは、自分にとって、とても大きい。

また、師と同じく、自分より若い人に「言葉の大切さ」や「論理的に考えられる力」を養成する大切さを教えることができることを、心から幸せに感じている。今、こうやって淀みなくなく文章をかけるのも、論理的に物事を考え、思考回路を整えられるからであり、才能という恵まれた能力ばかりではなく、どんな人間であれ、後天的に言葉を重んじ、物事を論理的に考える訓練は、十分に可能だということも示唆できる。

「人生100年時代」に突入し、仮に二十歳で学校の教室での学習が終わり、その後の人生で学ぶことをしないのであれば、残りの80年間は、見えざる何かに依存し切ってしまうことにもなりかねないし、少なくとも、独力で思考回路を可視化できるような能力など望むべくもなくなる。今の教育者の多くが危惧していることは、やはり自力で物事を多角的に評価する力が欠け、自分の言葉で自分の考えを表現する能力がなくなりつつある人間が増えているということだ。

暗記に頼った学習は、これからの時代は全く意味がない。インターネットで検索すれば、表面的な数字の暗記や単語のスペリングなど、すぐに発見できるし、何よりも既にそのような単純な作業は、AIがやり遂げてしまっている。これからの時代、ますますAIに代替される分野が増えていくことは明らかであり、人々に残された仕事というのは、AIがやった仕事に、ほんの微々たるエラーがあるかないかの「確認作業」くらいになるだろう。見事に、立場が入れ替わっている。ここでよく言われているのは、創造的な仕事ができる者の未来は明るく、それ以外の者の未来は暗いという二極化であり、多くのニンゲンが、後者に分類されるということ。コロナ禍で、その事実が一気に明るみが生じ、多くの失業者の職種は、機械で完結する仕事が多い。

このように考えたときに、やはり物事を論理的に考えることは、非常に重要であり、さらに、そのような明晰な思考回路に基づく思考力を磨き上げる姿勢を持っている者は、機械に仕事を奪われることなく、AIを使う側にまわり、自身の仕事をどんどん効率よく進め、クリエイティブな結果を残せる。私は、このような状況で欠かせなくなってくるのは「生涯学習」だと思っている。学ぶのに年齢制限はなく、幼児教育に年齢制限をかけないことや、中学校を卒業してからも、自分の好奇心を刺激するような分野を追求し、それを深めていけるような学習を続けることが大切だと思う。これはまさに、当予備校の理念そのものであり、偏差値アップを目的としない、真に学ぶことを追求する思考力を養成しようという姿勢に直結する。とはいえ、受験業界で長年指導していたということもあり、やはり受験勉強という観点から、自分の主張をしなければならないという皮肉な立場でもある。

昨年まで勤めていた学習塾では、授業前30分・授業後1時間の事務給がつくのだが、仮に、授業2時間前に出社して、書類の整理をしようものなら、鳴り響く電話を掴みながら、質問対応をし、結局、自分の書類の整理などできずに時間が過ぎてしまう。だから、出社したら最低限のコピーと授業準備ができるように、予めメモを作成し、喫茶店で今後の戦略などを練っていた。一度、コピーが間に合いそうもなく、泣く泣く自腹でコンビニのコピー機を使用を試みたが、前にいたお年寄りがコピーに手間取っており、急かすこともできず、雑誌の立ち読みをしていたところを生徒数人に目撃されており「先生は、左側に寄って立ち読みをしていた」という、とんでもない誤解をされたこともある。職場の最寄りのコンビニで卑猥な雑誌を読むほど、人間を捨ててはいないというのに。

そんなこんなで、乗り換えの駅の喫茶店で時間を潰すことにしたのだが、大きな駅ビルがある駅で、充実した品揃えの書店があったので、「そこで」立ち読みをしていたときに、面白い書籍に出会うことができた。毎日、入試問題を解いていたので、参考書問題集コーナーの島に行ってしまうのは職業病なのだが、大体の書店の場合、その島の近くには「語学参考書」がある。退社してからは、ブックカフェで、そのような教養のある本を、じっくりと楽しんでいるが、なかなか余裕がないときだったので、純粋に英語を楽しんでいなかった私は、ある一冊の本を手にとった。この本が、私の授業の「プリント」を大きく変え、また負担を増やした。その負担に関しては、確実に自分の論理的思考回路を生徒に示すことができる経験が積めたので、今でも感謝したい。

表紙には、三角形が描かれていて、それぞれの頂点に”claim”“data”“warrant”があり、その頂点を意識して三角形を完成させれば、見事に文章を可視化することができる。それまでの授業補助プリントといえば、各段落の流れのフローチャートを書き、それぞれの段落の要旨と、全体の要約を書いたものだった。それでも、十分に市販できるほどのプリントだったのだが、この三角形のプリントは、もっと市販化できる逸品。「三角ロジック」というプレゼンや、スピーチで威力を発揮する思考回路を明確にするために重要なチャートであり、それを毎回、作成することで飛躍的な英語力の飛躍が期待できた。

三角ロジックの作成を、毎回の宿題として課していたのだが、作成している自分の体力そのものが、一気に消耗してしまう程の時間と労力がかかり、やや気分がめげていた。しかしながら、誠実に「三角ロジック」を作成してくる教え子たちの期待に背くわけもいかないので、私は最後の授業まで作り続けた。その課題を意図的に怠っていた者と、できないながら毎回作成してきた者の差が、複利的曲線を描くように開いていった。不思議なことに、私のプリント作成作業も、最初こそ辛かったが、数をこなすごとに時間的に長くなることもなく、作成そのものが楽しく、三角形もコンパクトになっていった。

そのプリントを作成することで、文章を読むときに、この文は、全体のどこの頂点に位置しているのか。また、この設問は、どこの頂点をついているのかなどを考えるようになり、解説する時であっても「三角ロジックで考えれば〜」のような解説で、生徒たちも前向きに授業を受けられるようになった。思考回路が明晰な状態の生徒が、可視化できるプリントと、その作成者の授業を受けているのだから、成績が上がらないわけがない。積極的にやればやるだけ、生徒たちの力がついた。最後の授業で、論理的に考えること、基礎的な地味な学習をやることの大切さ、そして何より「言葉の大切さ」を伝えたときに、生徒たちの輝く目が、自分の授業の成功をハッキリと示していた。

成果が出るのかわからずとも、しっかりと思考力を伴った学習をする。問題文を読み、根拠がしっかりあるのだから、正確な答えを導き出せる。そして、正確な答えを出せるのであれば、その解答に至るプロセスだって、明確に解説できる。そして、第三者に自分の主張を確実に伝えるという、学問の究極的な目標を達成できる。そして、そのような思考回路を「三角ロジック」などで「可視化」できるように説明する力を養成することで、AIでは決して完遂できないタスクを完了できるのだ。

 

三角ロジックをYouTubeにアップロードしています。是非ご覧ください。

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