思考力

今は流れている

 

目が覚めると、まだ陽が差していない暗い外の様子。いつものように早朝覚醒かと思いつつ、何やら眠気がなくスッキリと目が覚めた。iPadのホームボタンを押してみれば、すでに時計の針は、朝の5時半をまわっていた。つまり、私の体内時計が狂っていたのではなく、世界が冬の時間モードにシフトしていただけなのだ。もちろん、そのようになるということは、外気がとても冷え込んでいるわけで、空気の入れ替えで部屋の全ての窓を全開にしてみたが、まるで冷蔵庫を開いたかのような冷風が入り込み、当然の如く、今朝は強い冷え込みかたであった。

とはいえ、昨日に引き続き、十分にリラックスをして深い睡眠を得られたので、心は落ち着いている。どんな願いをかけたところであれ、時間というのは、貧富の差などにも関わりなく平等に流れ、その流れに逆行することはできない。だから、どんなに経済的に豊かであっても、時間を大切にできないようであれば、それは本当の豊かさとはいえない。こうなってくると、多忙を極めて体を酷使して生きながら死んでいるような生活スタイルよりも、生き生きと若返るような健康体を手に入れる生活をしたいものだ。

ただ、最近では、できるビジネスパーソンほど、健康に留意しているようで、夜明け前の今の時間帯にバリバリと働いていて、昔の太った金持ちのイメージにありがちな小太りではなくなり、シックスパックのムキムキな社長が多い。そもそも、会社や企業に組織に属するという生き方が減ってきており、在宅ワークで、無駄な支出を減らし、”FIRE”を目指すことが、アメリカをはじめとした先進国での理想的な生き方となった。日本でも、その流れが来つつあると、私を含め、多くの勉強家たちが、同じように考えている。

このように、金持ちの定義そのものが、「所有」から別の方向へとシフトした。「手放す」というのは、無駄な贅肉と体脂肪をを捨てる筋トレの考え方であれ、今日流行の「ミニマリスト」的な物の所有を捨てる考え方である。隣の部屋のお金持ちのように、平凡な独身おじさんが、日々平穏無事にコツコツ働いているように見えて、実は株などを動かしている大富豪かもしれない。誰がお金持ちなのか。また、裕福な暮らしというのは、どのように定義されるべきなのかも一変している。価値観が多様化したのだ。

SNSでは、見えざる者同士が煽り合う輩たちがいる。それに対して、実生活では話し方のコツを身につけて、人間関係がうまくいく丁寧な言葉使いを学ぼうとする者がいる。どちらが人間らしいかと言われれば、昔の優等生的考えに基づけば、当然の如く「後者」となるが、このように時代が多様性を持つようになると、前者の生き方の方が「合理的」な生き方になってくるのかもしれない。それは、秋が冬に向かうかの如く、至極当然のこととして容認しなければならないのだろうか。それなら、なかなか寂しい世の中になってしまうのではないだろうか。

ラニーニャ現象で、今年は多く雪が降る予想。冬は寒さで気持ちが塞ぎがちである。それは、人間が冬眠をしなくなったからなのかもしれない。ただ、そんな中であれ、自分の価値観を見つめ直すことができるのも人間。また、人は一人では生きていけないというのも、事実。これを事実として認められなくなったら、シンギュラリティーでも起こってしまうのだろうか。とりあえず、自分が生きている間は、人は一人では生きられないという真理を大切にできる期間であってほしいと願うばかりだ。

-思考力